毎日新聞阪神版「きらり 阪神な人」欄掲載(2004年1月27日号) ひとりでもやる2 米留学から世界ほっつき歩き旅の著書売れ、一躍、時の人に 作家の小田実さん(71)は少年時代から「ほっつき歩く」のが好きだった。大阪市天王寺区に住んでいた小学3年のころ、遊郭に出くわし、あやしい気分を味わった。戦後の焼け野原のかなたに見た夕日は今も平和の原風景だ。 しかし、平和もつかの間、朝鮮戦争が始まった。府立夕陽丘高校2年の夏、この衝撃をテーマに最初の小説「明後日の手記」を出版。東京大に進学後も小説を書き続けたが、生き詰まりも感じた。持ち前の好奇心と放浪癖が抑え切れなくなった。東大大学院入学後の1958年、米ハーバード大大学院に留学。「山の向こうはどうなってるか。気になったら行きたくなる。おれはそういうタイプや」 米国中を見て回った。南部で人種差別の根深さに気が滅入り、国境の橋を渡ってメキシコに入ると、水も出ない貧しさに驚いた。まるで違う世界だった。「世界中を見ないと」。一日1ドル。背広一枚で高名な文化人に会い、路上で寝た。欧州、中東、インドと計22カ国を訪れた。 60年に帰国。新たな小説を出版社に持ち込んだが相手にされず、「旅のことを書け」と勧められた。一気に原稿用紙800枚を書き、あぜんとする担当者に題名を問われた。 「何でも見てやろう」です。 「そんな本売れるか」と怒られたが、世界を舞台に「ほっつき歩いて考えた」著書は、61年に出版されるとたちまちベストセラーに。「地球は青かった」「巨人、大鵬、卵焼き」とともに、流行語になった。テレビにも引っ張りだこ。一躍、時の人となった。 << TOP PAGE |