www.OdaMakoto.com/

■ 掲載記事




東京新聞・中日新聞掲載(2004年6月28日号)

随論「老いる」1
人間みなチョボチョボや

 これから何回か随論を書く。気のむくままによしなしごとを書く随筆があるなら、考えのおもむくままにことを論じ、論を進める随論があっていい。そう考えて、「老いる」ことについて随論を書く。なぜ「老いる」ことについてか。私も今年72歳、「老いる」さなかにいるからだ。

 私には「人間みなチョボチョボや」の持論がある。「人間古今東西みなチョボチョボや」と少し大げさに言うときもある。

 人間はおたがい、対等、平等、自由に生きている――この私の人間の根本認識が持論の底にある。これに従えば、英雄、偉人もいつも英雄、偉人ではない。ときには、タダの人になる。逆に、タダの人がときに英雄、偉人顔負けの偉業をなしとげる。

 「老いる」ことで決定的なのは、誰しもが「人間みなチョボチョボや」のタダの人になることだ。いくら強がりを言ってみたところで、それぞれに足腰が弱る、眼がかすむ、ボケる。こうしたことはかつてのオリンピック選手にも、大知識人にも起こる。これは決してわるいことではない。

 大哲学者として世に知られたバートランド・ラッセルに私が会ったのは、1960年代半ば、彼はもう90歳代に入っていたか。ウェールズの田舎町の自宅まで行き、私も彼も参加していたベトナム反戦運動のことで会い、話した。ベトナム反戦運動と言わず、反戦運動のとりえは元来が「反戦」の一点で人間がつながる運動だから、その一点において、大知識人も私のようにタダの人も同じになる、なれることだ。ことにラッセルは年を取っていた。

 何を話したかは忘れたが、とにかく私は彼とよくしゃべった。そのうち私の日本英語でまくしたてられたのに閉口したのか、彼は「この若者の話を聞け」と夫人を呼び出した。夫人はたしかラッセルが当世風に言えば「不倫の恋」を派手にやらかして結婚した夫人だ。たいへんな美女だった―はずだが、たしかもう70歳代半ばの老女だ。もともとがタダの人の私と、老いてタダの人になった二人の老人はしゃべった。あれはいい記憶だ。






<< TOP PAGE