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■ 掲載記事




東京新聞・夕刊掲載(2004年6月29日号)

随論「老いる」2
遊行期の「聖者」たち

 インドのヒンズー教の教えは、人生を学生(がくしょう)期、家住期、林住期、遊行(ゆぎょう)期の四期に分ける。

 学生期は、子供のころ、人生の準備期で、あとすぐ仕事をし、家庭を持ち、子供を育てる家住期に入り、やがて子供が大きくなって家を出て行くころから、仕事と家庭のしがらみを離れて自由に生きる林住期の一時期を過ごし、あとサトリを開いて「聖者」となった人間を除けば、たいていの人間は林住期の後家に戻る。あと何をするか―死ぬ。

 これはなかなかガンチクのある人生の見方で、さしずめラッセルなどは大哲学者としての家住期がすんだあと、林住期に入って、世界には哲学よりもっと大事なことがあると平和運動を始めたと見ることができるが、私はそうした林住期に入って平和運動を始めた有名人物をもうひとり知っていた。

 アメリカ合州国のノーベル賞受賞者の生物学者のジョージ・ウォードだが、いかにも林住期の人物らしくいつもペンダントを首からぶら下げたヒッピー・スタイルの老科学者で、私は平和運動で知り合い、韓国民主化支援の運動にも彼をひきずり込んだ。だいぶ前になくなった彼の、私に対する最後のことばは、いつものようにお元気ですかと直截、遠慮なしに電話できいた私の質問に対する答だ。彼はこう言った。「とにかくまだ自分の足で立っているよ」。彼はもうそのときには林住期を出て、遊行期に入って平和の「聖者」となっていたのかも知れない。最近88歳で亡くなったアメリカの第二次世界大戦以来の平和運動家の大立者のデイブ・デリンジャーは、私の大事な友人だったが、彼は遊行期に入って、確実に平和の「聖者」として死んだにちがいない。長年の非暴力直接行動の運動家で、戦争と差別、権力の不正に反対して何度投獄されたことか、まさに数知れない。日本語訳では『「アメリカ」が知らないアメリカ』(藤原書店)となっている彼の自伝の原題は『エイルから牢獄(ジェイル)ヘ』で、彼の出身校が保守反動の大金持ちたちの子弟が多く入る。

 エイル大学であるのをもじったものだ。ブッシュ大統領もエイル出身だ。死の直前にはデリンジャーはアルツハイマー病にかかっていたらしいが、彼の死から数日後に死んだレーガン元大統領もアルツハイマー病にかかっていた。死後世界のえらいさん方がほめそやすレーガン元大統領も遊行期に入って「聖者」になっていたのか。なっていたとすれば、何の「聖者」か。






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