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■ 掲載記事




東京新聞・中日新聞掲載(2004年7月8日号)

随論「老いる」8
安心立命の土台の消失

 1995年1月に私の住む西宮をふくめて兵庫県南部を襲った「阪神・淡路大震災」が年よりにとって悲劇だったのは、多くが自身で死んだことだけではなかった。さらに多数の年よりが老後の安定、安心立命の土台を失って路頭に迷うに至った。日本は年よりのこうした事態も顧慮しない「棄民」の政治をいつも行って来た国だ。結果は、ニ年後の兵庫県庁発表の「仮設住宅における一人暮らしなどの死亡例」によく出ている。「7月3日 男性 48歳 栄養失調衰弱死/7月6日 男性 60歳 病死/7月22日 女性 74歳 自殺/男性 47歳 自殺/8月1日 男性 83歳 病死/8月7日 女性 53歳 病死 栄養失調?/8月17日 女性 42歳 心筋梗塞/8月27日 男性 病死/8月28日 女性 64歳 自殺/9月23日 男性 72歳 病死」。これだけ見てもいかに年より被災者、一人暮らしの死が多いかが判るにちがいない。しかもそのうち二人の女性は自殺している。

 ここで詳しく書く余裕はないが、私が被災後一年経って、被災者に社会保障的な公的援助金を供与する法制度づくりの市民運動、いや、心ある議員をふくめての「市民=議員立法」運動を始めたのは、この年より被災者の悲劇があったからだ。「地震で死んだほうがよかった」と私は何人の年よりの口から聞いたことか。

 ここで丸山真男のことを書いておきたい。彼は私が敬愛する学者の知己だったが、特に親しくつきあっていたわけではない。それが地震直後、突然、「小田実さん、ほんとうに大変だったと思います」の書き出しに始まる長い手紙をガンの病床から書き送って来た。なかで、彼の記憶に刻み込まれた小学校四年時の関東大震災の体験に触れ、「信じられないほど愚劣なTVの繰り返しの映像、マイクを被災者に突きつける無神経な報道、地震『学者』をふくめた有識者の『長期的』な忠告等々」に怒り、また私が「ミニマムの日常性をとりもどせるように」なったら、また彼の病状が少し好転すれば、私の被災の体験と彼の「広島原爆から関東大震災に至る被災体験をおたがい語り合って、そこからどういう一般的=普遍的な問題を引き出せるか」を考えたいと私に提案していた。高名な政治思想史学者としてではなく、81歳になったひとりの被災体験を持つ年より市民として―彼の手紙は私にそう感じさせた。






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