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1960年代
- 1961年(「昭和」36年)29歳
- 旅行記「何でも見てやろう」(河出書房新社)
たしかにアメリカ合州国から始まって世界大にひろがった旅は、私の思考、人生に大きく風穴をあけた。そこから風は激しく入って来て、余分なものを吹き飛ばした。私はそれを書いた。
- 1962年(「昭和」37年)30歳
- 小説「アメリカ」(河出書房新社)
風穴があいたあとで書いた最初の長篇小説。「文芸」(1962年3月号―11月号)にまず連載した。私の「アメリカ」と「日本」がそこにある。ある高名な批評家が、「これが小説なら小説観を変える」と「酷評」(のつもりだったにちがいない)したのが記憶に残っている。
- 1963年(「昭和」38年)31歳
- 評論集「日本を考える」(河出書房新社)。小説「大地と星輝く天の子」(講談社)
「大地と星輝く天の子」は、ソクラテスの裁判を主題にした「書き下ろし」長篇小説。ソクラテスが主人公ではない。彼を裁いた人たち―ふつうの市民、つまり、私自身が主人公だ。
- 1964年(「昭和」39年)32歳
- 評論集「壁を破る」(中央公論社)。評論「日本の知識人」(筑摩書房)
「日本の知識人」は日本を古代ギリシアと現代インドに対比して書いた「書き下ろし」の「日本論」。
- 1965年(「昭和」40年)33歳
- 評論集「戦後を拓く思想」(講談社)。小説集「泥の世界」(河出書房新社)。評論「世界カタコト辞典」(開高健と共著)(文芸春秋新社)
「泥の世界」は、「泥の世界」(「文芸」1965年3月号)、「折れた剣」(「文芸」1963年12月号)、「ある登攀」(「三田文学」1957年4月号)を集めた小説集。
また、評論「難死の思想」を発表(「展望」1965年1月号)。そこに書いた原理に基いて、「べ平連」(「ベトナムに平和を!」市民連合)の名で知られるベトナム反戦運動を4月24日の東京でのデモ行進から始めた。自然に私が代表になった。
- 1966年(「昭和」41年)34歳
- 評論集「平和をつくる原理」(講談社)。評論集「小田実の受験教育」(河出書房新社)
- 1967年(「昭和」42年)35歳
- 評論=旅行記「義務としての旅」(岩波書店)
- 1968年(「昭和」43年)36歳
- 小説「現代史」(河出書房新社)。評論集「人間・ある個人的考察」(筑摩書房)
「現代史」は「書き下ろし」の長篇だが、この「ブルジョアのご令嬢のお見合い話」にとられかねない小説をデモ行進のなかでも書いていた。「人間・ある個人的考察」の評論はそのころ始めていたアメリカ合州国の脱走兵支援の運動の思想的総括。
- 1969年(「昭和」44年)37歳
- 評論=旅行記「終結のなかの発端」(河出書房新社)。評論集「人間のなかの歴史」(講談社)。評論集「難死の思想」(文芸春秋)。旅行記「原点からの旅」(徳間書店)。編著「第三世界の革命」(筑摩書房)。(安岡章太郎との)対話「大逃走論」(毎日新聞社)。(高橋和巳、真継伸彦ほかとの)対話「変革の思想を問う」(筑摩書房)
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