|
|
|
|
1930〜1940年代
- 1932年(「昭和」7年)
- 6月2日、大阪市福島で生まれた。福島は大阪市北部、かつてはにぎわっていた「下町」。1932年は「上海事変」の年。そして、私が生まれる日のほんの2週間ほど前には、「五・一五」事件が起こった。
父は当時は大阪市の職員(のちに「政権交代」のあおりでクビ、弁護士になった)。母は商家(本屋)の娘。
- 1939年(「昭和」14年)7歳
- 大阪市立五條小学校入学。
- 1945年(「昭和」20年)13歳
- 姫路市立城巽国民学校卒業。
大阪府立(旧制)天王寺中学入学。この簡単な記述のなかに、「小学校」→「国民学校」への推移、「学童疎開」の実施など、「戦争」が詰まっている。中学への入学も、その前日か前々日だかに大阪は大空襲を受け、試験問題がすべて燃え上がってしまったのか、出願者全員が無試験入学。以来、私はすべての秩序はいつかは崩壊するという度しがたい信念の持ち主になった。
私の戦争体験は飢えと空襲。空襲は1945年8月14日午後までつづいた。その最後の空襲はB=29爆撃機数百機による大規模なものだ。空襲後、日本が降伏したむね書いたビラを拾った。B=29機が1トン爆弾とともに投下したビラだ。私は信じなかったが、それから20時間後、翌15日正午、天皇の声は日本の降伏を告げた。この体験も私の人生、思考に今も根強く残っている。
|
|
|