作家
 小田 実のホームページ Web連載 新・西雷東騒

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若狭、小浜の読書会のことから
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安倍首相は辞任せよ
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二〇〇七年・新年のあいさつ
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「小さな人間」の勝利、しかし…
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痛快でいい夢
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裁判所は何のために、誰のためにあるのか
■  第2回(2006.09.14)
「平和憲法」実践の積極的提案を
■  第1回(2006.08.02)
神風は吹かなかった
■  はじめに                  

第2回(2006.09.14)
「平和憲法」実践の積極的提案を

 五年前二〇〇一年九月一二日の夜、それはアメリカ合州国、ニューヨークでは九月十一日の朝のことだったが、私は住居の居間に入って、何気なくテレビのスイッチを入れた。画面に見覚えのある「世界貿易センター」の双子の超高層の建物のひとつに飛行機が突っ込んで行くのが見えた。「あれは何だ」と画面に同時に東京のテレビ局の人たちが騒いでいるのも見えたが、さすがに十三歳で大阪で空襲をさんざん受けていやおうなしに戦争を知った私はとっさに「特攻」だ―と直感した。
 しばらくして新聞社から電話がかかって来て、この事態で私が感じ、考えたことを書いてくれと頼まれた。一夜かかって私は「日本の市民として考える」と題した一文を書き、ファックスで送った。
 次の一文だ。冒頭の部分のみ、そのまま引用する。
 「私が書くのは『事件』の真相はこうだ、というたぐいではない。ひとりの日本の市民として『事件』をどう考えるか、だ。」「ここで『日本の』と書くのは、日本がかつてアメリカ合州国を『敵』として戦い、『神風』自爆攻撃まで行った国であるからだ。しかし、日本が、同時にまた、その過去の反省に基づいて、問題解決に武力、暴力を用いないことを原理とした『平和憲法』をもつ国としてあるからだ。」「『市民として』と私が書くのは、この『事件』であまた市民が殺されたからだ。殺されたのはまず、非戦闘員、民間人の市民ばかりだ。『世界貿易センタービル』には世界各国の市民が来る。『市民が殺される』という事態は、国の別、民族の別をこえて世界全体の市民の問題としてある。『事件』はその事実を端的に示している。」
 私は冒頭にこう書いたあと、なかほどで次のようにつづけた。
 「どの戦争も大義名分をかかげる。彼らはこれまでの『西洋』中心の文明のあり方はまちがっていたと断じる。その文明は『イスラム世界』などの非『西洋』を武力で制圧、支配、収奪した。この世界のあり方を変えよ、彼らの武力に自らも武力で、テロで、いや、戦争を行ってまで。他人ごとではない。日本もかつて同じような大義名分をかかげて戦争を行い、敵味方にわたって市民を殺し、「神風」自爆攻撃まで行った国だ。しかし、その上で、その過去の反省に基づいて、日本は『平和憲法』をもった。」
 結論は―
 「私はここでその日本の市民として、今、なすべきことを考える。それは、軍備と『安保体制』を強化して、世界の『テロ』にいっそう強力に対することではない(世界最大強の軍備を持つアメリカの本拠の地の市民があまた殺されたことは何を意味しているのか)。私はかつてユーゴスラビアへの『北大西洋条約機構(NATO)』軍の空爆が始まったとき、国をあげて『反戦』に取り組んでいたギリシャで、『平和憲法』をもつ日本がどうして同じ努力をしないのかと言われたことがある。」「『構造改革』を叫ぶ日本の首相は、たとえば今、どうしてイスラエルとパレスチナの平和交渉に乗り出して、世界の『構造改革』に少しでも貢献しようとしないのか。」(「朝日新聞」2001・9・13)
 私はこの一文の最後のくだりを、イスラエル・パレスチナの双方と友好関係をもち、そして、何より「平和憲法」をもつ日本が双方の和平交渉にまったく乗り出さなかった、今は残念ながら崩壊してしまったが「オスロ合意」をこの問題でやってのけたのは平和憲法をもたないノルウェーであった事実を痛切に想起しながら書いた。ほんとうにそのとき、どうして日本が乗り出して、「東京合意」を形成しなかったのか。その私の痛切な気持には、そのとき世の「革新陣営」も、いや、市民も一向にそうした声をあげなかった事実も入っていた。
 今も事態はたいして変っていないだろう。つい最近にも、わが日本の首相は中東諸国を歴訪して、イスラエル・パレスチナ双方の首脳と会い、ヨルダン国王とも会談して、新しい平和の可能性を話し合ったというが、ただ、それだけのことだった。あるいは、ヒスボラの問題からイスラエルが理不尽にレバノンに対する空爆をやり出しても、日本政府は何ひとつ声をあげなかった。いや、野党も、そして、市民もたいして動かなかった。
 中東問題についてだけのことではない。今、「日本の市民として」私が考え、主張することは、日本がもっと積極的に国際紛争・問題の解決に「平和憲法」の反武力・反暴力の原理に基づいて動き出すことだ。市民の側もそれを主張し、国のそうした動きを支持する。
 私は「阪神・淡路大震災」の被災者として、自然災害における公的援助の実現を求める市民運動をここ十年来展開して来た。その運動の国際的な延長として、「災害大国」の日本は「災害基本法」を制定して、他国、他民族の自然災害の被災に対しても国をあげて支援せよと昨年来(昨年は大震災の十周年だった)主張して来ている。たとえば、被災には必ず難民が大量に出る。日本は民間のボランティアにまかせきりにしないで、国家として難民救済に精を出すべきだ―「平和憲法」はそこまでのひろがりをもつ政治原理としてある。
 要は「平和憲法」を積極的に実践すること―これが日本に、日本の市民に今求められていることだ。日本のあちこちで「改憲反対」「九条を守れ」の市民集会が行われ、市民の意見広告が新聞に出されて来ている。これはすばらしいことだ。しかし、残念なのは、そこに「平和憲法」実践の積極的提案が少ないことだ。実践の積極的提案がもっとなされないかぎり、「改憲」勢力は野放図に動く。それを許しておいていいのか。

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