|
|
|
|
第6回(2007.01.11)
二〇〇七年・新年のあいさつ
私は今年、次のような年賀状を書き送った。家族に関する事項を省いてここにも書き、読者諸氏への「新年のあいさつ」としたい。
先行きの見えない、芳しくもないことのつづく日本、世界ですが、新しい年の到来をともあれお祝いいたします。
「リデル=スコット希英中辞典」は古代ギリシャの喜劇を古、中,新の三時期に分け、「新」喜劇はふつう私たち現代人が考える喜劇ですが、「古」喜劇は「その時代のもっとも力ある人物たちを名指しで攻撃するためのもの」、「中」喜劇はそうした中心人物たちをそれとおぼしき姿で攻撃するものだと定義しています。アリストパネスの喜劇は「古」「中」の定義そのものの「反体制」の文学でしたが、この定義は本質的に「反体制」である文学の本質を言い表している定義だと思います。この混沌の世の中、私は今年も変らず自分なりに本質的に「反体制」である文学の仕事をつづけて行きたいと考えています。
二〇〇七年新春。
以上が私の今年の「新年のあいさつ」だが、少し注釈めいたものをつけ加えておきたい。 「リデル=スコット希英中辞典」は「希英」辞書のなかでもっとも権威あるものとされている「大辞典」を簡略にした「中辞典」だが、奇妙なことにこの喜劇の定義があまりに独創的、「反体制」的でありすぎるのか、「大」にも「大」をさらに簡略にした「希英小辞典」にも載せられていない。しかし、私はこの定義は正しいし、文学の本質をよく示唆していると考えている。
アリストパネスは私がもっとも敬愛する文学者だが、ここでひとつ指摘しておきたいのは、彼の「反体制」の喜劇を上演したのは、年に一度か二度,アテナイという「ポリス」(私は「ポリス」の訳語にその中身に即して「市民国家」をあてる。「都市国家」はあまりにかたちだけに偏した言い方で私は使わない)が国家の行事として開催した演劇祭においてであったことだ。この演劇祭は、アテナイでの他の政治行事と同じように「市民」の参加で行なわれた演劇祭だった。ここで言う「市民」には、民主主義に古代的限界のあったアテナイのことだ、女性も奴隷もいなかったが、その限りにおいて「市民」の参加は徹底していた。「市民」はタダで観劇できただけではなかった。たしか一生に一度ほどは「コロス」と呼ばれた合唱隊に参加した。
その文字通りの「市民」参加の「公」の演劇祭で、アリストパネス独特の下品、アケスケ、卑俗でもあれば壮大、偉大、崇高でさえあった「反体制」文学の上演をやってのけたのだから、これは特筆に価することだ。アリストパネスがよく槍玉に挙げたクレオンのような世にときめく権力者も自分が笑い者にされるのを「市民」といっしょに笑って観ていなければならなかった。古代ギリシャの偉大を言うならそこまで踏み込んで考えるべきだろう。もうひとつ言っておきたいのは、彼の喜劇がまさにそうであったように古代ギリシャの文学がきわめて現実的に政治的であったことだ。喜劇だけがそうだったのではない。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスのごとき悲劇作家の悲劇に至るまで、市民はただの神話劇としてではなく、多くを現実政治との関連のなかで理解し、感じ、あるいは演じた。そして、そこでの「政治」は、アイスキュロスのような「愛国詩人」に至るまで、決して「体制」べったりのものではなかった。文学には文学独自の倫理、論理がある、あるべきだ――その認識、姿勢に土台を置いての「政冶」だった。こうした理解を欠いては、私は古代ギリシャ文学の本質,そのかんどころはつかめないと考えている。
ことにこれは文学からことさらに政治的なものを排除しようとする日本人の文学理解にかかわって強調しておきたいことだ。ふつう日本人の文学理解では、デモステネスの政治演説はホメーロスの叙事詩、ソポクレスの悲劇とちがった範疇のものとしてあるが、古代ギリシャ人にとっては、両者はともに「文学」だった。
しかし、これは古代ギリシャ人だけのことではない。現代にあっても、西洋人は、彼らも古代ギリシャ以来の文学伝統のなかで生きて来ているにちがいない。「政冶」と「文学」の差異、対立をことさらに言い立てたがる日本人とちがって、デモステネスとホメーロス、ソポクレスを「文学」として同じ視点でとらえる態度を変わらず強く保持しているようだ。
この「新西雷東騒」の前々回で「痛快でいい夢」を書いたあと、面白いことが起こった。ある週刊誌が,私が「北朝鮮」を支持していると記事に書いたらしい。「らしい」と書くのは、私が実物を読んでいなくて読んだ人の話から聞いただけのことだからだが、記事は証拠として私のその一文を挙げていた。
書いたものをどうとろうがとる人間の勝手だが、それにしてもあの一文をそうとるなら、よほどその週刊誌は体制的にでき上がっているのだろうと私は思った。何であれ誰であれ、私はそうした体制的であるものはいやだし、それに対して根本的に「反体制」である。念のために言っておきたいが、「痛快でいい夢」で、私は「北朝鮮」を支持していないし、逆に自分のことは一切棚上げにして居丈高に「北朝鮮」をやっつけにかかる日本、アメリカ、その他各国も支持してはいない。支持しているのは「文学」―本質的に「反体制」である「文学」だけだ。
昨年、二〇〇六年、秋から年末にかけて、私は三冊の大部な本を出した。まず岩波書店から『玉砕・GYOKUSAI』、ついで大月書店から、『九・一一と九条 小田実平和論集』、三冊目は新潮社からの『終らない旅』。
『玉砕・GYOKUSAI』は私のその題名の小説とそれを私がなぜ書いたかを述べたエッセイ、この小説はアッツ島での「玉砕」戦の参加者でもあるアメリカの日本文学研究者ドナルド・キーンによって英訳されたが、その英訳につけたキーンの彼自身の思いを込めた序文、私と彼との「玉砕」にかかわっての対談、キーンの英訳に基づいてイギリスの劇作家テイナ・ペプラーが書き、BBCワールド・サービスが世界大に放送したラジオ・ドラマと彼女のこのドラマをなぜ、またいかに書いたかのエッセイ――を収めた日・米・英三国の著者共著の本、『九・一一と九条 小田実平和論集』はその題名通り、私がこれまでに長年に渡って書いて来た平和論の集大成、『終らない旅』は日本人男性とアメリカ人女性の「愛」とベトナム戦争を基軸にすえて私が四年がかりで書いた小説――以上が三冊の中身だが、いずれもかなり大部な本で、三冊並べてみると、まるで大きな団子の串刺しである。団子の串刺しをつくるつもりはなくてたまたま出版が重なってしまっただけのことだが、この偶然が興味深いのは、三冊に通底するものがあるような気がするからだ。
それは、まとめ上げて言って、政治にしろ経済にしろ、あるいは文化にしろ、つくり出すのがそれだけの力をもつ「大きな人間」たちであるとするなら、三冊の本はすべてそうした力を本来的にもたない「小さな人間」の位置に立って感じ、考え、書こうとした、そして、できばえはともかく実際に書いた「文学」であることだ。「小さな人間」は潜在的に「反体制」の位置に立っている。その潜在を顕在にするのが、私は「文学」だと考えている。
この期せずしての団子の串刺しの出版を機にして、私の小さな講演会を東京で開催しようとする企てがもちあがっている。大月書店の担当編集者が言い出して、岩波書店、新潮社の編集者も賛成しての企てだが、この社風も出版傾向も異なる三社編集者協同の「小さな人間」の位置に立っての講演会が実現すると面白い。予定は二月。子細は次回の「新西雷東騒」で。 |
|
|