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市民のみなさん方へ表紙

はじめに友人への手紙恒久民族民衆法廷おわりにフィリピンの友人との往復書簡



恒久民族民衆法廷(2007年3月21日−25日、オランダ、ハーグ)
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2. 裁判手続き

 フィリピン民衆の甚だしい基本的権利侵害について恒久民族民衆法廷(PPT)の審理開始を求める要請は、もともと、2006年初め、フィリピンをはじめヨーロッパとカナダの社会団体と宗教団体の広範な連合体によって提出された。この要請は、規則に定められた手続きによって、とりわけPPTの権限という観点から、PPTの事務局と代表による、告訴内容と原告代表資格の審査がおこなわれた。
 2006年10月30日、恒久民族民衆法廷(PPT)による裁判の開始がハーグで行われた記者会見で発表された。この裁判は、フィリピンの人権侵害の状況を明らかにするものであり、1980年におこなわれたフィリピンにかかわる第一回法廷の続きと考えることができる。
 ローマとハーグにあるフィリピンと米国の大使館をつうじて、主な被告はフィリピン政府および同国大統領グロリア・マカパガル=アロヨ氏と、米国政府および同国大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ氏の2人であることが正式に通告された。被告は訴訟への参加と弁護権の行使を求められた。
 このことは、政府代表の矛盾した発言によって確認されている。政府代表が明言したように、政府は裁判の開始について時間的余裕をもって知らされたが、政府としては民族民衆法廷に積極的に参加するという決定はしていない(彼らは3月21日の裁判の開始に姿を見せたが、沈黙を守った)。政府代表のこの発言は、ハーグのマスコミでもフィリピンのマスコミでも報道されている。
 恒久民族民衆法廷(PPT)の公聴会は、付属文書1にあるプログラムに従い、(3月21日から23日までの)まる3日間、ハーグのクリストス・トリアンファトール・ケルクで開かれた。
 原告の口頭弁論と審判員の質問にたいする彼らの説明を確認・解釈するため、審判員は付属文書2に載っている(フィリピンでライブ収録された、ビデオによる証人と弁護士の厖大な申し立てと質問への解答もふくまれている)文書を利用できた(PPTはこれらの文書を書庫に整理・保管している)。
 審判員による審議は3月23日夜から非公開でおこなわれ、判決は2007年3月25日に発表された。


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