市民のみなさん方へ (表紙) はじめに | 友人への手紙 | 恒久民族民衆法廷(2007年3月21日−25日、オランダ、ハーグ) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 6. 超法規的殺人、拷問、拉致 二つが組み合わされる場合も多いが、超法規的殺害、拷問、拉致の量の多さは印象的である。生存者、目撃者、専門家の口述証言が法廷に文書化して提出された。彼らは審判員の質問に答える機会も与えられ、質問に詳細に答えた。それぞれの事例(付属文書2にリストがある)に加え、審判員はもとの文書や証明書からのコピーを含むきわめて詳しい報告を利用できた。表が示すように(編集部注 数字は原文のまま)、超法規的殺害件数の合計は839件であるが、表の下欄の数字を詳細に見ると、その件数は2001年の98件から2006年の213件に増加した。表の左側には、殺人戦略の標的である「左翼」組織と関係するとされる代表的「階層」がまさに網羅されている。教会関係者、地域指導者、農民、ジャーナリスト、弁護士、いわゆる政党名簿(議会野党)に名前がのった人、人権活動家、超法規的殺害の単なる目撃者などである。 【表】
大部分の殺害は、オプラン・バンタイ・ラヤ(9・11以後の反テロキャンペーンの枠組みのなかで採用された2002年にさかのぼる対ゲリラ活動計画)のなかで、「重点地域」とされた地域でおきているように思われる(前述第5節を参照せよ)。 襲撃のまえに、被害者は通常、軍隊や反共的な自警団の中傷を受ける。彼らはフィリピン共産党/新人民軍(CPP / NPA: Communist Party of the Philippines / New Peoples Army)、あるいはその「前線組織」のメンバーだと噂され、「テロリスト」のレッテルが貼られる。実際には、被害者は借地期間の延長を求めている最貧層の農民、政府の非人間的な政治を批判する聖職者、普通の人の条件改善のため平和的に闘う人権を求める労働者であり、彼らは政治的暴力とはまったく無関係である。たとえば、第4節で言及した2006年11月6日のアシエンダ・ルイシタの虐殺を参照せよ。 2006年10月3日に殺害された、貧しい農民と労働者の司祭としてもアロヨ体制の批判者としても知られたアルベルト・ラメント司教、2006年5月21日に殺害されたアンディ・パウィカン牧師(前述)、2006年8月3日に殺害されたイサイアス・サンタ・ロサ牧師(これも前述)は、非暴力の聖職者が標的になった例である。 そのほか、非暴力の社会運動が標的にされた例として、2003年4月21日に起きた人権労働者エディ・グマノイとイーデン・マルセラナの誘拐と殺害および、前述したように、2001年以来、政党組織バヤン・ムナが立法府に正式に提出したリストに載せた129人の党員が殺害されている。2001年以降、活動家の弁護士15人と裁判官10人、政府や多国籍企業のような社会組織に暴力的でない攻撃を加えて批判したとされる、ジャーナリストその他のメディア関連の人びと26人が殺されている。 オプラン・バンタイ・ラヤを論じたとき、それが目指しているより大きな広がりのシナリオの概要を述べたが、実際、この全体的状況はその議論と完全に一致する(第5節を参照せよ)。この状況は、審判員が告発1を判断するときに利用できる。フィリピン共産党(CPP)と新人民軍(NPA)の打破という初期の戦略に失敗した政府は、いまでは弾圧の対象を左翼反対派の軍事部分というよりも、政治的部分に集中している。法律機関と法律組織の「中立化」という目標は平和的人物を殺害する口実になる。法廷でオプラン・バンタイ・ラヤについて証言したダニロ・ヴィスマノス退役大尉は明確に、このもくろみは新人民軍のフィリピン軍との武装衝突ではなく、無防備な非戦闘員、貧しい農民、社会活動家の襲撃・拷問・殺害にあると分析している。 女性指導者、とりわけガブリエラ女性党の指導者にたいして、軍人は彼女たちを裸にして暴行している。女性の拷問の一形態としても、女性に恐怖を与えるためにも、性的暴力が利用されている。 【フィリピン国軍の責任】 殺害や誘拐の実行犯は、名札のついていない軍服を着用し、縁なし帽あるいは目出し帽をかぶり、ナンバープレートのないオートバイなどの乗りものを使うことが多い。政府はこのような殺害に軍が関係していることを強く否定しているが、そうでないことを示す重大な徴候がある。たとえば、2006年8月3日にイサイアス・サンタ・ロサ牧師が拷問の末殺害された事例については、とりわけ印象的な包括的証拠がある。実行犯の1人が作戦中に殺され、軍の書面の任務遂行命令(証拠調べをしたPPTはいつでも提出できる)がその死体で見つかった。 2006年5月21日に起きたアンディ・パウィカン牧師の事例では、被害者は軍服姿の兵士に誘拐され、その後まもなく殺害された。 エディ・グマノイとイーデン・マルセラナの事例についても同じことがいえる。人権事実調査団の活動からの帰り道、二人は軍服姿の兵士によって誘拐され、2003年4月21日、拷問のうえ殺害された(ビデオ記録と詳細な証拠文書がある)。 1978年10月30日に創設された民間人軍地域部隊(CAFGU: Civilian Armed Forces Geographical Units)は、対ゲリラ活動で国軍の補助部隊として働いていたが、いまでは多くの場合、政治家や私的団体の利権に奉仕する準軍隊として機能している。 【合法をよそおった非合法の殺害・弾圧・拷問の政治】 殺害について真剣な捜査が試みられていないことはすべての目撃者が確認している。 写真撮影は一切ない。指紋採取も一切ない。その他の捜査方法も利用されない。証拠がないので、訴追が始まらない。最も残虐な虐殺が起きても、決定的行動はほとんど出てこないので、政府への非難の声もほとんど挙がらない。メロ委員会の歴史にこの否定的態度が反映されている。政府は、殺害事件の捜査権をもつこの委員会の設置を政治的に強制されているが、いくつかの事実によって「事件」と認められても、軍も警察も責任を問われなかった。政府は公表を遅らせるため、結局は成功しなかったが、ありとあらゆることを試みた。国連特別報告者フィリップ・アルストンによる別の報告書はずっと批判的だったので、政府はこれを全面的に否定し、嘲笑さえした。 もっと深刻なのは、殺害その他の人権侵害の目撃者にたいする脅迫、拷問、殺害のメカニズムである。これについて本法廷は印象的な証言を得た。法廷で証言したルエル・マルシャルによれば、彼は(前述の)アンディ・パウィカン牧師の殺害事件の唯一の証人というだけの理由で激しい拷問をうけた。 国連特別報告者フィリップ・アルストンに証拠事実をのべた少なくとも1人の証人が、その後まもなく殺害されたという情報を審判員は知らされた。 【結論】 本法廷はここに提出された証拠を考慮した結果、報告された殺害・拷問・拉致の責任はフィリピン政府にあり、反テロリズムに必要な措置であるという正当化は決してできないと考える。 << TOP PAGE |