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市民のみなさん方へ表紙

はじめに友人への手紙恒久民族民衆法廷おわりにフィリピンの友人との往復書簡



恒久民族民衆法廷(2007年3月21日−25日、オランダ、ハーグ)
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5. アメリカ合州国の役割

 フィリピンにおける人権の危機的悪化は、経済的・軍事的覇権を求める米国の世界戦略と、それに続いて起きた、米国に先導されたいわゆる「対テロ戦争」という文脈で見る必要がある。
 フィリピンと米国のあいだの軍事上・安全保障上の協定は、第二次世界大戦後の1948年、米国が認めた正式の独立直後に強要された一連の条約と取り決めの一部だった。このような協定は、フィリピン国家と陸海空軍、とりわけ国内の安全保障にたいして、米国が引きつづき支配することを保証した。フィリピンはすでに正式の独立を与えられていたのだが。
 米軍基地は1992年に移転したが、1999年の訪問米軍地位協定(VFA: Visiting Forces Agreement)と2002年の相互補給支援協定(MLSA: Mutual Logistics Support Agreement)にもとづいて、米軍部隊はフィリピンに戻ってきた。いわゆる「対テロ戦争」をよそおって、米軍部隊が駐屯・配備しており、これはフィリピン南部のミンダナオ島に限らない。2001年以来ずっと、フィリピン国内には何千人もの米兵が継続して駐留し、表向きはテロに対抗するという「訓練と演習」をおこなっている。しかし多くの場合、実際には、フィリピン国軍と戦闘作戦で協力している。このようなことは、国家主権とフィリピンの領土保全を甚だしく侵害している。
 フィリピンはその戦略的位置のため、米国軍隊がもくろむ東アジアや遠く離れた中東まで及ぶ計画にとって死活的重要性をもっている。すでにアフガニスタンとイラクの人びとにたいする侵略戦争で、フィリピンの港湾と軍用飛行場は、米国が通過地点および燃料補給場所として使用している。このような理由から、米国はフィリピン国家とその軍隊にたいする支配の維持と、米国のプレゼンスに反対しているすべての進歩的勢力の打破を求めている。
 こんにちフィリピン国軍は、マルコス体制の下僕だった組織と同一の、旧態依然とした組織である。フェルディナンド・マルコスの独裁下で残虐行為をおこなった青年将校は、いまではアロヨの抑圧的な国家体制で将軍や取り巻きになっている。フィリピン国軍(AFP: Armed Forces of the Philippines)は対ゲリラ活動と反テロ活動にかかわる機関すなわち、CIAとペンタゴンの国防総省の指導と支援のもとで、抑圧の道具として、また超法規的作戦の実行者として役割を果たし続けている。アロヨ体制は生き延びているが、その決定的要因は、この体制が米国と米国の訓練された軍隊に依存しているからだ。
 このような徹底的な依存が、個人の権利と集団の権利の甚だしい侵害というコストを支払っていることは十分に確認されており、詳細な証拠文書になっている。果てしなく続く軍隊・警察・準軍隊の作戦は総力戦であり、この表れが、2002年以来実行に移されてきたバンタイ・ラヤ作戦(OBL: Operation Bantay Laya, Oplan Bantay Laya)すなわち、自由監視作戦という、いわゆる「全体的アプローチ」である。
 バンタイ・ラヤ作戦は、以前の、もともとマルコス体制下で練り上げられた対ゲリラ活動計画の最新版である。米軍=フィリピン共和国政府=フィリピン国軍は、30年以上、民衆闘争の粉砕・阻止を試みてきたが失敗続きであり、フラストレーションのすえ、最終的にこの作戦が生まれた。米国はペンタゴンと中央情報局を通じて、概念化能力〔スパイ養成のためのプログラムで、様ざまな情報からパターンを見つけ出す思考プロセスを指す〕、計画立案、フィリピン国軍兵士の訓練、計画実施に関与している。この共同作業はいま、きわめて問題の多い2006年の安全保障関与委員会協定(Security Engagement Board Agreement)にもとづいて実施されている。
 この協定によって設置された安全保障関与委員会は合同委員会で、フィリピンと米国の双方から、防衛と軍事に関わる役人が参加して構成されている。この委員会の目的は、フィリピン国内での反テロ・キャンペーンの監督にある。これは、2001年9月11日にニューヨークで起きた自爆攻撃の直後の同年に、フィリピン南部の反アブ・サヤフのキャンペーンとして始まった。キャンペーンを始めたのは米国であり、反アブ・サヤフの反テロ・キャンペーンとして、国軍(AFP)と共同して実施した。キャンペーンのなかで、米国の特殊部隊と国軍はミンダナオ島で、アブ・サヤフへの支持が疑われる人、その家族、あるいは無実の人でさえ誘拐した。その後はじめて、全国的な反ゲリラ活動のキャンペーンのなかで、これがフィリピン全体を網羅するようになった。反アブ・サヤフのキャンペーンの場合と同じように、全国的なキャンペーンも法的資格を持つ代弁者と政府との武装対決に巻き込まれた人を区別しなかった。このキャンペーンを実行しているのは国軍であるが、戦闘中、国軍に指示し支援しているのは米国の特殊作戦部隊(SOF: Special Operations Forces)である。
 このような米国の特殊作戦部隊は、低強度紛争と呼ばれている戦争を専門とする、最高度の訓練をうけたエリート部隊である。現地の部隊は、スハルト独裁体制時代のインドネシアでもそうだったが、とりわけ、グアテマラとコロンビアのようなほかの国々で卑劣な犯罪――誘拐、超法規的殺害、武装ゲリラ勢力に同情的と見られている民間人の虐殺――に関与している。なかでも国際アムネスティによって、このような現地部隊の訓練に責任をもつ米国の特殊作戦部隊の存在が暴露された。
 対ゲリラ活動作戦の万策尽きた米国=アロヨ体制にとって、バンタイ・ラヤは長年にわたる対立の「最終的解決」と思われる。バンタイ・ラヤでは、とりわけ、議会の政党名簿に載っている代議員および選挙区にたいする残忍で懲罰的な扱いと、指導者や一般メンバーの暗殺による団体や組織の「中立化」に力点が置かれており、これはバンタイ・ラヤの新しく重要な要素である。バンタイ・ラヤが重点をおいているのは”政治的”要素と”白色”地域作戦であり、「フィリピン・デイリー・インクワイアラー」紙のベテラン記者でコラムニストのアルマンド・ドロニラは、これについて次のように述べている。

「オプラン・バンタイ・ラヤの「戦闘序列」に概略が述べられている戦争の青写真は、共産主義運動の非軍事的部分を殺害するというものである。オプラン・バンタイ・ラヤのもくろみは、交戦における新人民軍との武装衝突ではない。無防備の非戦闘員の殺害と虐殺をもくろんでいる。したがって、オプラン・バンタイ・ラヤは悪意に満ちた民間人殺害計画である。この戦略で軍と警察がこうむる危険と損害は、彼らが共産主義ゲリラとの武装戦闘で直面するそれよりもずっと少ない。
 過去5年間の被害者の大部分は非戦闘員と無防備な左翼メンバーだったが、それはなぜか。この戦略が前線/合法的組織の「中立化」に力点を置いているという説明が役に立つ。この間に殺された合法的左翼メンバーの人数は、治安部隊と衝突した武装新人民軍兵士の死亡数をはるかに凌駕する。
 この戦略が非難されるのは、非戦闘員を組織的に虐殺するからだ。これが人権侵害と残虐行為をもたらす可能性もきわめて大きい。現体制の対ゲリラ活動の方法は、前任者たち――そこにはマルコス独裁体制も含まれる――の政権と比べて、はるかに冷酷に見える。この戦略は無防備な人びとの虐殺に道を開いている」


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