|
|
|
|
2000年10月2日号
インドIT革命の裏に貧困 先端都市は大海の孤島
八月から九月にかけて、イラン、インド、ネパールヘ出かけた。アジア「発見」「再見」の旅だ。
私がイラン、インドヘ最初に行ったのは一九六〇年、四十年前のことだ。ネパールヘは三〇年の昔。長いつきあいだ。インドの場合、「再見」の友人、知己も、あの広大な国の各地にいる。旅は彼らを訪ねての旅だ。そのあいだに新しい友人、知己もできる。インドは変わったか―私は彼らに訊ね、彼らは逆に私の感想を求める。いくらでも変わったことはあると私は答えた。みんながコーラを飲むようになった。炊き出しの紅茶の優雅がティーバッグの無粋に変わった。あるいは、たしかに「中流」は増え、ゆたかになった。変わらないのは―これは、私が言うまえに、彼らの多くが異口同音に答えた。インドの最大の問題が変わらず貧困であること。
言われずとも、これは歴然としている。いぜんとして街頭には貧しい人と物乞いがあふれ、野宿者は路上で寝る。その数は四十年前にくらべて少しは減ったのか―その昔、カルカッタの路上で寝たことのある私は考える。ムンバイ(ボンベイ)はインドの経済、金融の中心の最大の都市だが、国際空港のまわりに工事用の土管住まいをふくめて掘っ立て小屋のスラム街が四十年前と変わらず膨大にひろがる。
いや、その貧困のひろがりは以前よりも大きいと、ムンバイの友人、知己は言った。四十年前との違いは、その貧困のひろがりのまえに、今をときめく「IT革命」の立役者の企業の派手な立て看板が立っていることだ。看板に眼を奪われるか、背後を見るか、でインド評価は分かれる。私より少し先にインドに来て、インドの「IT革命」はすばらしい、日本もあとに続けと国会で声高に主張した森首相はどちらを見たことになるのか。問題は、その「IT革命」が立て看板の背後の貧困のひろがりを救い上げる力をもつかどうか―そのことだ。
まず、「革命」に参加し得るインド人はどれだけいるのか―私の友人、知己は言い、私もうなずいた。インドには英語ができる人はたしかに多い。しかし、「IT革命」に参加できるほどの英語力をもつものは全人口十億人のうちニ〜三%。多くて五%。しかし、より根本的な問題は、インドで読み書きできる人口は、識字率が上がったと言ってもまだ四割(一九八七年の識字率向上をめざしたその名も「黒板作戦」)はうまくいかなかった)、全人口の六割、六億人はまだ文字が読めない、書けないことだ。
彼らは確実に「IT革命」から切り捨てられ、さらに貧困に追いやられる。「IT革命」が大きな利益を生み出すのは、たとえば「アグリビジネス(農業関連企業)」だが、「アグリビジネス」が「IT革命」で大儲けすればするほど、農村、農民は困窮し、破滅に近づく。
インド南部のバンガロールは今や「IT革命」の本拠地として知られた都市だ。森首相もいち早く訪れているが、私もそこまで足を伸ばした。そして、バンガロール在住の友人とともに森首相もつい先日視察に来たという郊外の「IT都市」へ行った。壁の光沢が輝く未来派の絵画めいた建物とそこで働く「IT選民」の住居が「IT都市」だが、まわりは露店と「オート・リキシャ」と呼ばれる三輪タクシーの列―あいもかわらぬインドだ。「ここはインドという大海に浮かぶ孤島だ」。地元の演劇の演出家らしく、友人がうまいことばを口にした。
近くに、忽然と高価な物品を出現させる奇跡で信者を集めるサイババ師がつくり出した「サイババ都市」がある。私と友人はそこまで出かけた。五千人が入る巨大な礼拝所を中心に師の住居、信者の住宅、宿舎、学校などが立ち並ぶ「都市」だったが、「IT都市」とそこは奇妙に似ていた。どちらもがインドという大海に浮かぶ奇跡の孤島だ。そう見えた。 |
|
|