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2001年4月18日号
日本との関係の今 韓国 まともなつきあいの形成を
私が韓国をはじめて訪れたのは1963年。つきあいは長く、古い。しかし、長い中断がある。私が歴代の軍事政権に抗して民主化を求めてたたかった人士を助けて、韓国の新聞の言い方で言えば、長年、政府の「忌避人物」となって韓国に入れなかったからだ。助けた人士は、たとえば金芝河、金大中。私がふたたび入国できたのは92年。それは、私が支援した人士とともにあまた韓国人がたたかい、ついに政治を変えたからだ。金大中氏は大統領にまでなった。
今いいことは、日韓両国がまともにつきあいができるようになったことだ。まともなつきあいのカナメは、関係における対等、平等、自由。一方が他方の優位に立つ関係はつきあいをまともでないものにする。そのきわめつけが一方が他方を力で支配する植民地支配のつきあいだ。このつきあいは、理由、いきさつ、見かけはどうあろうと、まともなつきあいではない。
植民地支配は消滅して年久しいが、その後も日本は、長年にわたって、かつての軍事力に代わって強大な経済力、それを後ろ盾とした政治力で、力劣る韓国に対する自分の優位を確保しようとする。この関係のなかでくり返し行われてきたのが過去の正当化だが、今、事態は変わった。韓国はもはや日本に頼って生きる貧しい国ではないし、政治的に問題のある軍事政権の国でもない。自由と民主主義を求めて生命を賭けてたたかった人物を大領に選んだまぎれもない民主主義国だ(わが民主主義国、そのはずの日本の首相は何を求めて政治をしているのか)。これはいままさに日韓のあいだで、対等、平等、自由なつきあい形成の土台ができ上がったことである。
今ほど日韓が親しくなったときはない、と私の韓国人の知人は異口同音に言う。このところ何度も韓国を訪れている私にもその実感がある。ちがいはときとして大きくあっても、日本人、韓国人には文化的に「波長」があうことが多いのだと彼らは言い、私も同意する。しかし、すべてはまともなつきあい形成があってのことだ。
日本の「教科書問題」が重要なのは、いや、恐ろしいのは、それがこのまともなつきあい形成の土台を突き崩すものとしてあるからだ。なぜ、日韓がこれほど親しくなろうとしているときに、日本はかくもおろかしいことをまたぞろやらかそうとするのか―知人たちはまた異口同音に言った。私も彼らと同じことを言う。それは問題の教科書が個々の事項、字句の問題を超えて、一方を他方の優位に置く歴史、社会、人間認識に基づくものであるからだ。これほどまともなつきあい形成とあい入れない教科書はない。
3月、韓国を訪れた私はまずソウル南部、天安の「独立記念館」へ行った。「記念館」は80年代にも起こった日本の「教科書問題」に端を発して建てられた施設だが、今は修学旅行の日本の高校生も訪れる。広大な「記念館」には、拷問の場面の再現をふくむ日本の支配の実態の展示がある。私の心を深くとらえたのは、展示にそえられたことばだ。
展示はすべて史実と実際の証言に基づいたものであると述べたあとを次のようにつづけていた。「過去の不幸な歴史の加害者を許すことはできますが、決して忘れてはならないことです。日帝の強占期の歴史を展示することは過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではなく、共に発展的に未来をめざそうという意志の表れなのです」
「独立記念館」に日本語は不要だという反対を押し切って展示に日本語の説明をつけるとともに、ーカ月かかってこの短いことばを書いたと、書いた館員自身が私に話した。彼の祖父が独立運動の一員として不幸な最期をとげたらしいが、このことばには問題の教科書にない、まともなつきあいを今こそかたちづくろうとする強い意志のあらわれがある。 |
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