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2000年10月23日号
かっ歩する「インド英語」支配 形変えた西欧帝国主義か
インドで英語が不自由なくできる人の数は全人口のニ〜三%、多くて五%と言われているが、なにしろ全人口が十億の国だ、五%とすれば五千万人が「英語人口」だから、大「英語国」だ。五千万人はただ英語ができるのではない。英語を使って仕事をし、生活しているのだ。そして、この大「英語国」の国民は、アメリカ合州国人が「アメリカ英語」を話すごとく、「インド英語」をあやつる。
四十年昔からインドとのつきあいのある私の感想を言えば、昔の「インド英語」は英語世界の片隅の「ローカル」な存在としてあったのだが、(ネルーはレッキとした本場イギリスの「イギリス英語」を話したのであって、インド式訛りのある「インド英語」で演説したのではない)、今や訛りがあろうがなかろうが「インド英語」は大手をふってインド国内はおろか世界を闊歩しているように見える。
そして今、この「インド英語」の闊歩はインド国内においてさらに激しくなって来ているようだ。かつては「上流」だけだったが、今や「中流」までが家族内でも英語で話し、ヒンディー語なりベンガル語なりのインドの「公用語」で教える公立小学校を避けて(「公用語」は十八。小さな言語までふくめると、インドの言語の数は全部でおよそ千六百余。この言語のあまりの多種多様が「インド英語」の闊歩。あるいは、バッコの一つの理由だ)英語で教える私立小学校に子供を通わせる、その上、家庭で自分の言葉でしゃべるのを禁止したりする。いや、自分のことばはすでに「インド英語」になっているのか。四歳でその目にあっている女の子に私は会った。
この英語の新しい闊歩は今をはやりの「IT革命」とも「グローバリゼーション」とも大いに関係があることだ。英語がよくできれば、それだけその二つのなかでいい仕事につける。いや、うまくいけは、貧しいインドを離れて、ゆたかな海外で暮らせる。
知人の娘の若い女医さんに会った。これからロンドンにでかけて医師の何かの免状をとるというので、インドではできないのかねと尋ねると、できないことはないが、ロンドンでとれはハクがつく。この時代、イギリスのハクは有用、必要だと彼女は非のうちどころのない「インド英語」で答えた。彼女の政治信条が何かは知らないが、彼女の母親、私の知人は昔は共産党の活動家だった。彼女に言わせれば母親もハクづけに賛成している。そう言えば、さっき述べた四歳の女の子の父親も「左翼」のインテリだった。
「これはかたちをかえての西欧帝国主義の再来じゃないかね」。私は友人に冗談口をたたいた。友人も「左翼」の経済学者だが、彼のほうは生真面目な顔で「かたちをかえてじゃない。そのものだ」と言った。
「英語国」に住んでいれば、インドにいてもロンドン、ニューヨークともそのままつながる。「IT革命」と「グローバリゼーション」はまちがいなくそのつながりを拡大、強化する。「英語国」インドは一種の「仮想現実(バーチャルリアリティー)」で、そこにいるかぎり、ロンドン、ニューヨークを「リアルタイム」で呼吸できるにちがいないが、その「英語国」インドは字が読めない人が六割、六億人の「非英語国」インドの現実とどこでどうつながるのか、つながらないのか。ひとつ確実に言えることは、独立後のこれまでのインドの歴史のなかで、「左右」両翼を問わず、「英語国」インドが「非英語国」インドを統治、支配して、その現実をつくり出してきたという事実だ。
その現実とは、たとえば、私が最初にインドを訪れた四十年昔、一九六〇年においての農村の極貧層の比率四七・二〇%が九八年になっても四四・一%だったという現実だが、極貧層はまちがいなく「非英語国」インドの住民だ。もちろん、六〇年と九八年の数字には違いがある。しかし、そのあいだの年月の長さに比べて、違いはあまりに小さい。 |
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