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2000年4月25日号
ベトナム戦争「惨勝」後25年―手にした「平和」がある
この2000年4月はベトナム戦争が1975年4月に終わって25年になる4月だ。25年前の4月29日には、当時のサイゴンのアメリカ合州国大使館の屋上から大使以下のアメリカ合州国関係者とベトナム人の協力者たちがヘリコプターで脱出、この光景は歴史に残る光景として写真で見た人は多いに違いないが、翌4月30日には、「解放軍」の戦車が大使館官邸に突入して、10年以上に及んだベトナム戦争(これを今、ベトナム人たちは、かつてのフランス相手の戦争の「フランス戦争」と区別して「アメリカ戦争」と呼ぶ)はベトナム側の勝利で終わった。
私は、ベトナム戦争を理解するには、次の三つの基本的な事実認識が必要だと考えている。まずひとつは、今は、当の「アメリカ戦争」の実質的指導者の当時のマクナマラ国防長官(まさにそれゆえにベトナム戦争は「アメリカ戦争」に関しては「マクナマラ戦争」と呼ばれた)自身が回顧録のなかで、あれはまちがった、するべきでない戦争だったと告白しているように、まったく正当な理由、大義名分のない戦争だったことだ(同様に、それ以前のフランスが行った「フランス戦争」にも、過去の植民地支配の復活以外に何の理由もなかった)。
2番目に、この「アメリカ戦争」において、「フランス戦争」におけるフランス同様、アメリカ合州国が徹底して敗れたことだ。日本にはよく、ベトナム戦争は「勝者なきたたかい」だったと主張する人がいるが、この主張は根本的に間違っている。ベトナム側の戦争目的は、アメリカ合州国の存在を軍事的にも政治的にもベトナムの土地から追放し、外国の勢力からの完全解放、独立、「南北統一」を実現することだった。この目的をベトナム側はまちがいなく達成した。そして、アメリカ合州国の戦争目的は、初めは「自由の擁護」だった。しかし、おしまいには、米軍撤退の屈辱を避けるためが目的の7割までになっていた。そうマクナマラの下にいた人物が書いた。その目的をどちらにせよアメリカ合州国は達成しなかった。それはアメリカ合州国が完全に敗れたことだ。
しかし、ベトナムの勝利は持てる力のすべてを使い果たした上での「惨勝」だった。戦争は究極のところで殺戮と破壊だが、両者は一方的にベトナムに集中している。ベトナム戦争におけるベトナム側の死者の数は正確に算定されたことはないが、軍人、民間人あわせて最低200万人。これに対してアメリカ合州国の死者は5万8000人余り。人口1800万人の「南」ベトナムに投下された爆弾、砲弾は1000万d、枯葉剤5万5000d、もちろん、アメリカ合州国内にはベトナムの砲弾は小銃弾一発も打ち込まれていない。
ベトナム戦争後の25年は、「惨勝」の「惨」からいかに抜け出すのかの25年だった。「惨勝」後、何度かベトナムの地を訪れている私には、その実感がある。82年、「惨勝」後7年、初めて訪れたときには、「惨」の跡は歴然としていた。ホテルを出ると「ギブ・ミー・ワン・ダラー」と手を出す子供たちの集団に私は取り巻かれた。89年には、この子供たちの集団の姿は消えた。市場にも物はあふれていた。しかし、経済はいぜんとして困難、人々の暮らしは苦しかった。そして、2000年、「惨勝」後25年、私はこの4月初め、「解放25周年」を各地が祝うベトナムを旅して歩いた。この「解放25周年」のベトナムの旅の印象をまとめ上げて言えば、「惨」がようやく完全に姿を消しつつあるというものだ。もちろん、ベトナムはまだまだ貧しい。
問題、矛盾はいくらでもある。しかし、ここ十数年のドイモイ政策のまれな成功によって、人びとの暮らしはたしかによくなって来ている。街にはベトナム人が「ホンダ」と呼ぶバイクがあふれ、市場には物が充満し、高層、超高層の建物が各所に建つ。しかし、ここでもっとも大事なことは、真面目に働けば明日は暮らしがよくなるという気持ちを人びとがもちはじめていることだ。この気持ちは彼らの勤労意欲をそそって、経済を活性化する。
私がこの4月のベトナムの旅で想起したのは、かつての日本のことだ。日本もベトナム同様、アメリカ合州国とたたかって、しかし、こちらは「惨敗」した国だが、戦後「惨」のドン底から経済の回復とともにようやく這い上がったところで、人びとがもち始めたのは、今日はまだまだ生活は苦しいが、今、真面目に働けば明日の暮らしは確実によくなるという気持ちだった。その気持ちが人びとを懸命に働かせ、経済を伸びさせ、高度経済成長、繁栄への道を切り開いた。戦後の日本を生きて来た私にはその実感があるが、私はその実感をもう一度、「解放25周年」、いや、「惨勝」後25年のベトナムの旅でもあった。その「惨」の消滅の底に、今ベトナム人がはじめて確実に手にし得た「平和」がある。かつての日本においても、「惨」の消滅、繁栄のはじまりに、日本人が長い戦争のはてにはじめてようやく手にし得た「平和」があった。 |
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