|
|
|
|
2005年3月29日号
「小国」「大国」、そして「世界」
3月初旬、私は「小国」台湾を大学一年生の娘とともに旅して歩いた。台湾は人口2260万余。人口は過密に多いが、面積は九州より小さい。しかし、かつてのように植民地ではないし、「大国」中国のただの一地域ではない。そう台湾で多くの人が認識している。まさに「小国」だ。
長いあいだ蒋介石の独裁強権政治の下にあったこの「小国」を、私は当時政治的理由で訪れたことはなかった。行けなかったのだ。その後も機会がなくて、今度が初めての旅である。
1932年生れの私にとって、台湾はまず日本の植民地としてあった地だ。これまで私は「南北」朝鮮、サハリン、ミクロネシアを訪れている。この台湾旅行で、私は旧「大日本帝国」の版図のすべてに足を踏み入れたことになる。
1985年生れの娘にとっては、台湾はかつての自分の国の植民地どころか蒋介石独裁強権政治の台湾でもない、日本と同じ民主主義国、そのはずの国だ。体験、認識がそれぞれにちがう親娘がこの台湾への旅で共通して感じとったのは、その社会の根のようにしてあるまっとうな「小国」として生きようとする気概と、曲がりなりにもそう生きて来た実績に対するそれなりの自信だ。
日本の植民地支配のあとは歴然と残っている。都市の姿かたち、鉄道の駅のかまえ、駅の売店の「関東煮」の大看板とその実物、日本語を突然話し出す老人、随所に残る「2本時代」の建物。第一、「小国」の政治の中心、総統府自体が、空襲で焼けたのを再建したものだとは言え、台湾総統府そのものの再現だ。台湾大学法学部は赤煉瓦建ての校舎も、守衛の詰所も日本庭園も、前身「台湾高商」時代とほとんど変わらない。それどころか、改築、変更は法律によって禁止されている。
しかし、これをもって「日本時代」」をやみくもにありがたがっているととってはならない。いいものはいい、残す。残していい。残すべきだ―の「小国」の方針がそこにはある。その方針の根にあるのは「小国」の気概と自信だ。その台湾大学法学部の構内を案内、説明してくれたのは、かつての法学部長で、今は独力で近くに「日本総合研究所」を開いて許所長をつとめる介鱗氏と藤井志津絵氏だが、許氏も、今は国籍も変えて「台湾人」となった藤井氏も、過去から現在に至る日本の対台湾政策を著作を通じて鋭く批判してきた人たちだ。許氏は、今またなぜ後藤新平が無批判にもてはやされているのかと問い、藤井氏は、日本人の多くは日本が植民地支配をして台湾人を苦しめた事実を忘れてしまっているのではないかと言う。
気概と自信をもつとき、人間は自分の過去をそれがどんなものであろうと、積極的にとらえていこうとするものだが、ひとつの社会、国にあっても同じだ。「小国」台湾にとっての過去はオランダの侵略に始まり、50年に及ぶ日本の植民地支配、さらには蒋介石の独裁強権政治の過去だ。この過去を積極的にとらえて、さらには長年人間として認めてこなかった原住民の存在、その文化の重要性をも視野に入れて(今台湾各地には「原住民博物館」がある)、台湾を多民族、多文化の「小国」として生きて行こうとする―これが大きくまとめ上げて言っての今の「台湾人」の共通認識、そして、気概だ。
こうした共通認識、気概は、当然、中国からの分離、独立への願望となり、さらにこれまた当然に中国の反発を招き、「反国家分裂法」制定への動きとなり、さらには台湾での「反・反分裂法」の大きな動きとなる。
私たちが台湾にいるあいだ、3月6日には、高雄で「反・反分裂法」の「大遊行」(デモ行進のことだ)が起こったのだが、台湾各紙の伝えたそこでの李登輝前総統の次の発言が「台湾人」の現在の気概をよく言い表している。「台湾は世界の一部だ。決して中国の一部ではない。」
この5万5千人が集まった「大遊行」は「反分裂法」制定以前のことだったが、制定後、3月26日の「大遊行」は100万人を集める超「大遊行」になった。新聞によれば(私は今日本に帰って来ているので、台湾各紙ではなく日本の新聞によれば、だ)、「民主・平和・台湾を守ろう」と名づけられたデモは、各地から貸し切りバスや列車で来た参加者は「大遊行」で歩いたあと、最後には総統府前の広場に集まったのだが、この総統府は、さっき私が言及した「日本時代」に台湾総統府だった建物だ。この事実は、「小国」の民がいかに「日本時代」を克服しつつあるかを端的に示している事実だろう。そこで参加者は「自分たちの運命は自分たちで決めなければならない」「私たちは悪の巨人と向き合っている民主主義だ。台湾は小さな国でしかないから、世界に向けて大きな声で訴えないと」と語ったと新聞は伝えている(「毎日新聞」3・27)。
私たちが台湾を去った3月12日の台湾各紙は、彼女たちの訴えを斥けた日本の最高裁の判決に抗議するもと従軍慰安婦たちの抗議の記者会見を報じていた。82歳の彼女たちのひとりが、「私は補償を求めているのではないのです。日本政府の謝罪を求めているだけです。世界がこのことを知れば、私は満足です」と涙がらに言った。「大国」の横暴に向き合って、ここでも「小国」の民は「世界」に訴えている。 |
|
|