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1999年11月30日号
徴兵制と「良心的兵役拒否者」―民主主義国家での“奉仕活動”の意味
日本の若者は戦争や軍隊のことを知らない―と書くと、彼らは日本の侵略戦争の過去も、そこで「皇軍」という名の帝国陸海軍が何をしたかをろくに知らない、教えられていないという話になりそうだが、私がここで書くのは、もっと今、現在のことだ。
先日、私はある大学へ臨時講師として教えに出かけた。地元の名門・有名大学だが、そこで教えている友人に頼まれて出かけた。学生は200人ほど。2度教えた。2度目に「良心的兵役拒否者(コンシェンシャス・オブジェクター)」の話をして、この西洋の学生ならも誰もが知っている法制度を知っているかと尋ねた(私は、西洋でのときどきの大学の講演は別として、「西」ドイツ、オーストラリア、アメリカ合州国の大学で教えている。「誰もが知っている」はこの体験に基づいて言うことだ)。答えは、誰もが知らない。見事にゼロ、これは予想していたとはいえ、やはり、少し驚いた。
なぜ西洋の学生が「良心的兵役拒否者」のことを誰もが知っているかといえば、彼らの国では徴兵制があり(今、アメリカ合州国のように徴兵制が施行されていなかったとしても、それは一時的、便宜的にそうあるだけのことだ。原理的、原則的には、現在のドイツがそうであるように、ベトナム戦争時のアメリカ合州国がそうであったように、徴兵制はどこでも行われている)、若者は一定の年齢に達すると「兵役」につき、銃をとることが当然とされているからだ(イスラルでは女性も「兵役」につく)。ただ、今、西洋の多くの国にあっては「良心的兵役拒否者」が法制度として確立されて来ている。若者が自分の信条に基づいて銃をとらないと決意するなら、この法制度を選択して、「良心的拒否者」になることができる。今、多くの西洋諸国では、若者は、人生のある時点において、この自己選択に直面する。その道を取ろうと取るまいと、「良心的兵役拒否者」は自分の問題としてある。だから、誰もが知っている。
西洋諸国にある徴兵、兵役についての基本の論理、倫理、あるいは常識は次のようなものだ。いや、「徴兵」「兵役」という言い方は「徴」は「召し出す」という意味だし、「役」は「苦役」に通じる。こうした言葉は天皇制下の軍隊、独裁国家の軍隊にふさわしいものであっても、民主主義国家の軍隊にはあてはまらない―と、彼らは言うだろう。彼らの言い方、考え方にそって、「軍事的奉仕活動(ミリタリー・サービス)」と言おう。さてこの「軍事的奉仕活動」を西洋は一般にどうとらえているか。
民主主義国家、その土台としてある「市民社会」は市民の「奉仕活動」によって形成、維持されている。基本にあるのは国家を形成、維持するための資金として税金を拠出することから始まる程々な「市民的奉仕活動(シビル・サービス)」。しかし、これのみでは十分ではない。市民社会を襲う、襲うかもしれない外敵の脅威に対して、市民それぞれが銃をとる「軍事的奉仕活動」―これがつまり、「徴兵」「兵役」だ。いや、これは市民自体の軍隊を形成、維持するための「奉仕活動」であって断じて「徴兵」「兵役」のたぐいではない―そう彼らは主張するだろう。当然、民主主義国家は「国民皆兵」になる。民主主義国家であるにもかかわらず、ではない。民主主義国家だからこそ、「国民皆兵」は必至になる。
これは民主主義の始祖、出発点の古代アテナイから今日まで西洋に連綿としてある論理、倫理、常識だが、古代アテナイは祖国防衛、あるいは民主主義の擁護、拡大の名のもとに、侵略戦争を大々的にやってのけた国だ(アテナイ民主主義は侵略の上に形成、維持されたとよく言われる)。こちらのほうのことも西洋は連綿としてやって来ている。そこから「戦争には正義の戦争はない」とする「平和主義」の論理、倫理、その論理、倫理の実践として「良心的兵役拒否者」が生まれて来て当然のことだ。そして、武器の進歩は途方もない、殺戮と破壊を引き起こす。ブレジンスキー氏の算定によれば、20世紀の戦争による死者は8700万人(これに収容所での虐殺などを加えると、全体で1億6700万人がいろいろな大義名分のもとに殺されたことになる)、そして、死者の大半が民間の市民だ。
この現実を前にして法制度化されたのが「良心的兵役拒否者」だが、彼らはただ銃をとらないだけではない。「軍事的奉仕活動」の代わりに、社会的弱者の救済事業に入る、救急隊の活動をするなど「市民的奉仕活動」を行う。日本でこうしたことがいかに知らされていないかは、大きな英語の辞書にも西洋の学生なら誰でも知っているこの「シビル・サービス」という言葉が出ていないと一事で判る。
今や、世のはやりは日本も「ふつうの国」になって「ふつう」に軍隊をもち、「正義の戦争」に参加せよ、自らもやれ、他の民主主義国家もやっていることだ―という論調のようだ。若者までが、たいていがその論調にかぶれてきているように見えるが、それは自分が「兵役」について銃をとることだ。私はこのままいけばこれからの日本の「徴兵」は必至とみるが、私が教えた名門・有名大学の学生200人は「良心的兵役拒否者」の言葉すらしらなかった。これは、こわい。 |
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