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2003年12月23日号
アポロンの矢は大王に当たらない 兵士の犠牲強いる「大義なき戦争」
私は戦争というと、よくホメーロスの「イーリアス」のことを考える。ことに、自衛隊のイラク派遣が始まろうとしている今、考える。
私自身の試訳を使うが、「怒りを歌ってくれ、女神よ、ペーレウスの子アキレウスの破滅の怒り。それはアカイア人に数知れぬ苦しみをもたらし、雄雄しい勇者の魂をあまた冥王のもとに送り、残されたむくろはだだ犬ども、ありとあらゆる鳥どもの餌食になった」(「アカイア人」はギリシア人の意)の詩句で始まってトロイア戦争を描いた「イーリアス」は、この冒頭の詩句が示すように、決して戦争賛美の叙事詩ではない。のっけから戦争の悲惨を歌い上げている。そして、ホメーロスによれば、彼の過去数百年前にあったはずの実在の戦いはいざ知らず、詩人が想像力を駆使してでっち上げたこの架空の戦争は、当世風に言えば、まったく大義なき戦争だった。スパルタ王メネラオスが旅に来たトロイアの王子パリスに妻を寝取られ、トロイアにさらわれて行ったのに復讐、寝取られ妻を取り返さんとして、ミケーネの大王アガメムノン(彼はメネラオスの兄)が全ギリシア世界に声をかけ、あるいは強制してギリシア連合軍を形成、はるばるとトロイアまで遠征して行ったのだから、ここには「天に代わりて不義をうつ」のたぐいの正義の戦争の大義名分はない。たかだか奥さん寝取られ男の私怨と、これは掠奪戦争のいい機会になるという参加連合国の王の私利私欲が連合軍の形成、遠征の理由だった―そう「イーリアス」を虚心に読めば読める。
そして、「イーリアス」は、戦争開始10年目に起こった連合軍の総司令官、「すべての戦士の長」(と「イーリアス」は言う)のアガメムノン大王と連合国のなかの一国の王でもあれば勇敢無比な英雄としても知られた「神のごとき」(これも「イーリアス」が言う)アキレウスとの争いが直接の主題となった作品だが、この争いももとはと言えばおたがい掠奪してせしめた女の問題から始まる争いなのだ。ここにもまず大義はない。この争いは世にあまねく知られた話で、これ以上私はここで子細を書くつもりはないが、もうひとつだけ書いておけば、このトロイア戦争で勝利を博し、掠奪した財宝、美女もろとも故国に凱旋したアガメムノン大王は、これは「イーリアス」の作品世界の外で起こったことだが、その長い戦争のあいだに、これも当世風に言えば「不倫」の相手によって惨殺される。
このトロイア戦争はどう考えてもはればれしたところはない。まさに大義なき戦争である。しかし、戦争というものはもともとそうしたものとしてあるのではないか。「イーリアス」を読んでいると、つくづくそう見えてくる。
しかし、私が気にかかるのは、そうした大王、英雄の運命のことではない。さっき引用した冒頭の詩句から少し進んだ箇所に出て来る一連の詩句―そこに出てくる大王、英雄ならぬただの兵士のことだ。
なぜ、アガメムノン大王とアキレウス英雄とのあいだに女の問題が生じたのかと言うと、ギリシア軍がトロイア周辺でさかんに行なった掠奪戦争で、娘をアガメムノン大王に奪われたアポロン神の神官が償いの財宝を持参して娘の返却を求めたのに対して大王が拒絶、追い帰したからだ。神官は怒ってアポロン神にことの次第を告げて祈り、アポロン神は神官の祈りに応じて、ギリシアの軍船めがけて悪疫の矢を無数に放ち、ギリシア軍は崩壊の危機におちいる。
集会が開かれ、その席でアキレウスはアガメムノン大王に神官への娘の返却を強力に迫り、大王もついに娘の返却に応じることになったなだが、その腹いせにアキレウスが掠奪し自分のものとした女性を大王は強引に奪う。そこからのアツレキ、それが「イーリアス」の主題だが、私にはそんなことはどうでもよい。私が気にかかるのは、次の詩句、そこでの兵士のことだ。私の試訳でつづける。
「彼(神官)が祈り、話したのをポイボス・アポロンが聞き、オリユムポスの頂から心底怒って降りてきた。……からだの動きにしたがって、夜のように彼は動き軍船の列から離れて陣取って、列のまっただなかに矢を射放った。……矢が襲ったのは騾馬ども、次いで足速い犬ども、さらには兵士ども、彼らを狙って、切っ先鋭い矢は飛んだ。あと屍を焼く火は絶え間なく分厚く層をなして燃え上がる」
私が「1945年3月から8月にかけて大阪で何度も受けた米軍機による空襲のことを思い出すときにいつも想像するのは、この「イーリアス」の詩句だ。あのとき天界から天のように注がれる爆弾、焼夷弾に抗する術は地上の私たちにはなかった。そして、地上には人間が生きながら焼かれる火が燃え上がった。大阪空襲を思い出すときだけではない。アフガニスタン、イラクでの空襲で煙が地上を覆う光景を見るたびに私はこの詩句を想起した。そして、今、イラクに日本の「兵士」が行くという。私が今またこの詩句を想起するのは、イラクでの米軍の戦争が、どう考えても大義のない戦争だったからだけではない。もうひとつ、アポロンの矢は大王や英雄には当たらず、犠牲になったのはいつもただの兵士だったからでもある。 |
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