|
|
|
|
2000年7月25日号
ベトナム戦争、ユーゴへの空爆―マヤカシのない評価下すとき
今年2000年はベトナム戦争がアメリカ合州国の敗北に終わって25年の年であるとともに、昨年、コソボにおける民族紛争、「民族浄化」阻止の名の下にユーゴスラビアに対する「NATO」(北大西洋条約機構)軍の「空爆」が行われて1年になる年だ。ベトナム戦争はもちろん、「空爆」に対してもまちがいのない、マヤカシのない評価を下すべきときにきている。
私は今、「戦争に正義はあるか」を主題にしたテレビ番組制作にかかわっている(放映は8月14日、NHK衛星)。そのために、最近、アメリカ合州国を2度、ドイツを1度訪れて、二つの戦争について、いろんな人の意見をきいた。ベトナム戦争についてはアメリカ人、「空爆」についてはアメリカ人、ドイツ人双方だが、ことにドイツ人。
ベトナム戦争については、すでにもう明確にアメリカ人の意見は定まってきているように見えた。あの戦争はまちがっている、するべき戦争でなかった―このことばにつきる。意見を口にしない人もいた。たとえば、まさに戦争末日、1975年4月29日のかつて旧サイゴンのアメリカ大使館屋上からのアメリカ人と協力者のベトナム人の救出作戦に空母からのヘリコプターのパイロットとして5時間、初陣の戦いとして参加した、現在は「海兵隊大学」の学長はどう尋ねてみても、発言を拒否した。その作戦に大使館屋上にいて彼らを送り出す側として参加した海兵隊の現場指揮官の元海兵隊士官は歴戦17年の戦士だったが、いまは一切の戦争を否定する「平和主義者」に変わっていた。
7月4日の独立記念日の朝、私はワシントンのベトナム戦争記念碑に出かけた。5万8000人余の戦死者の名を長く低く伸びる黒大理石の壁面に刻み込んだだけの鎮魂の意がよく出たその記念碑には、人がたくさん来ていた。人はただ静かに壁の文字を眺め、その前を歩いた。
ワシントンには、巨大な星条旗を硫黄島の山頂にかかげる海兵隊員の銅像があって有名だが、この記念碑の近くにも3人の兵士が立つ銅像がある。ひとりは白人兵士、あとは黒人兵士、そして、ラテン・アメリカ系と見える兵士。3人はくたびれ果てた姿態で立って、ただじっと記念碑を見ている。君らは死んだが、われらはようやく生きのびたというのだろうか。この3人の兵士の銅像にも星条旗はあったが、それは足元の小さな星条旗だ。
ユーゴスラビアへの「空爆」については、もう1年前のように派手にその必要性、そして勝利を論じたがる人は少なくなってきているように見えた。アメリカにおいても、ドイツにおいてもだ。まず「空爆」にかかわってのウソ、マヤカシがこの1年のあいだに大いにバレてしまったことがあった。たとえば、「空爆」実行に際してさかんに取り沙汰された「民族浄化」についてだが、それはあまりにも誇張された情報であったことが暴露された。難民も「空爆」開始後に多くなったことが判った。そして、虐殺にしても難民にしても、それらを誇大宣伝した広告会社の存在、活動も明らかになった。あるいは、ユーゴスラビアで民間人が少なく見つもって1500人が殺されたのにNATO軍の死者はゼロ。いったいこれはなんだ!
そしてこれがもっと肝心な問題だが、いったい「空爆」は効果があったのか。「空爆」によって民族紛争は収まったのか。平和は来たのか。残念ながら、答は大きく「否」だ。アルバニア人が殺される代わりに、今度はセルビア人がやられ、ロマ人(<差別語>を使って言えば、「ジプシー」のことだ)が殺される。追い出される。
ギリシアは昨年、「NATO」の一員でありながら、民族の利害が複雑に絡むバルカン半島における外国勢力による武力の行使は紛争を激化、長期化させるとして「空爆」への参加を拒否したが、今、事態は、ギリシアの主張通りに進んできているように見える。
「空爆」自体はアメリカ合州国空軍が中心となって行われたものだが、「空爆」のいわばイデオロギー的旗ふり役を演じたのは、「社民」「みどり」連合政権ができたばかりのドイツだった。ベルリンで、私は両党の「空爆」賛成、反対双方の有力議員何人かに会った。面白かったのは、元気がよかったのは反対派の議員たちであったことだ。反対したのが、今や正しいことが事実によって立証された―と彼らは異口同音に言った。賛成派は元気がなかった。いろんなことをおっしゃったが、事態の不本意な展開に押されて誰もが弁解的であり、ことばに確信がなかった。政治家のことばに確信をあたえるのは現実の事態、事実の裏づけだが、裏づけは十分ではなかった。
ベルリン滞在の最後の日、私はコンピューターの「ソフト」の創始者として知られる老科学者に会った。ベルリン生まれの彼はユダヤ人で、1935年にアメリカに逃れ、アメリカで育ち、第二次大戦にはアメリカ兵として参加し、あと紆余曲折あって「MIT」の教授になったユダヤ人の苦難の歴史を地で行ったような人物だが、彼は「空爆」にはいかなる理由をつけようが反対だ、誰にとってもの本当の敵は戦争だ、と言った。 |
|
|