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1999年12月28日号
市民の入らない、市民を入れない―「原子力・運命共同体」
今年1999年9月30日に東海村の核燃料加工工場で起きた臨界事故は、ついに、12月21日には被ばく死者を出した。大内久さん、35歳。彼の被ばく線量は推定18シーベルト。これは一般の人が1年間に浴びる放射線許容限度の約1万8000倍に当たる。事故はバケツによる「違法」につけ加えての手抜き作業で起こったものだが、彼と被ばくした他の作業員も、臨界事故の可能性についても、恐るべき結果に関しても十分知らされていなかったようだ。
しかし、このまかりまちがえば途方もない大惨事になっていたにちがいない大事故が起こっても、政府はこの危険極まりない燃料加工も、このもととなった「核燃料サイクル」事業も、さらにそのもととなった「原発」もやめるつもりは一切ないようだ。「揺らぐ原子力政策」「安全に決定的ひび」と毎日新聞は大見出しを出していたが(99・12・22大阪本社版)、原子力政策は揺らいではないし、政府も原子力推進の当事者も、「安全」に決定的なひびが入ったとはまったく考えていないように見える。「83日目 最悪の結果」「最先端医療も通ぜず」「『原子力の犠牲』に衝撃」の大見出しの下の記事は、科学技術庁長官が記者会見をして「今回の事故を厳しく受け止めている。安全の確保、再発防止に全力で取り組む」と答えたあと「『この事故で我が国の原子力行政は大きく変わらない。すぐに代替エネルギーというわけにはいかない』と原子力行政に変更のないことを説明した」と報じていた。
大見出しを逆手に取ったようで悪いが、「原子力の犠牲」に「衝撃」を受けたのは、この見出しを付けた記者ではあっても、政府や当事者ではない。この記事の下に、まさに「原子力の犠牲」だった「広島原爆」の被害者と54年のビキニ環礁での水爆実験で被ばくした第五福竜丸乗組員の談話が載せられていたが、大内さんの死を「核という人間が作り出した悪のための無駄死」と受け止める「広島」の被ばく者、「大内さんは被害者。国や会社にこそ大きな責任がある」とする第五福竜丸の被ばく者―この2人のかつての「原子力の犠牲」の発言と、この大内さんという新しい「原子力の犠牲」に何の「衝撃」も受けていない、その証拠に「この事故でわが国の原子力行政は大きく変わらない」とする科学技術庁長官の発言との間には無限の乖離がある。
そして、この科学技術庁長官の発言がまったく新しくないのは、4年前の12月に起こった高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏出火災事故のあとで、当時の科学技術庁長官がこれとまったく同趣旨の発言をしていたからだ。どちらもが事故を厳しく受け止めているとは言ったが、しかし、そのあとが、だから、原発をやめる「核燃料サイクル」をやめる―にはならない。逆に、安全の確保に努力する、だからこそ、原子力を変わりなく推進するのだ、と主張する。これはまさに本末転倒の議論、あるいはただの屁理屈だが、この奇妙な主張を支えているのが、「国の発展にはエネルギー源が必要だ。代替エネルギーは他にない」という大義名分と、今回の事故は「違法」と「手抜き」によって起こった事故だ、それにすぎない、きちんとやっていれば事故は起こらなかった―とする日本の科学技術への依然として変わらぬ過信だろう。後者は、今回はさすがに余り言われなかったが、過信は変わらずにあることだ。「もんじゅ」の事故のあと、「日本で初めての本格的ナトリウム漏出火災事故だが、環境への放射能漏れも公共への災害もなかった。安全上に何ら問題はない」「今回の事故で高速増殖炉の開発が遅れるとか、中止すべきとかの議論はあたらない」「こうしたことで中止すれば、技術立国としての日本が恥ずかしいだけだ」(毎日新聞95・12・16)と「東大教授」が発言していたが、こうした態度は今も政府や当事者に根強くあることだろう。一つの例として、大内さんの死後2日目、事故は「原発とは無関係」だとして、「原子力推進を強調」した通産大臣を挙げておく。彼は「『原発は何重もの防御体制を敷いて、安全性は確保されている。燃料加工工場の人間のずさんなミスが事故を起こした反省もしていかなければいけないが、このことと原発は別だ』と語り、原発の安全性を強調」(毎日新聞99・12・24)。
まだ、周辺住民の被ばくの実態が十分に把握されていないなかで、12月24日、政府の「臨界事故調査委員会」ははやばやと「最終報告書」を出した。これで事故を終わらせようとする意図が明白なこの報告書は、原子力に関係する企業全体が「運命共同体に属する」自覚をもって、これからはしっかりやってくださいと書いてケリをつけようとしているのだが、この「原子力・運命共同体」が最初から無視しているのが、さっき引用した「原子力の犠牲」の声だ。市民の声もそこにはない。この「原子力・運命共同体」は市民の入らない、市民を入れない「原子力・運命共同体」として今も変わらずある。 |
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