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2004年7月27日号
戦争を知らない大人たち
「戦争を」知らない子供たち」と題したフォーク・ソングがはやった時代があった。戦争を知らないで知ろうとしているのか、それともそう言ってひらきなおっているのか、よく判らぬ歌だったが、とにかくはやった。
この歌のことをあらためて考えたのは、最近ロックを演奏して反戦活動をやっている若者男女3人が私のところに「わたしたちは戦争を知らない子供たちです」と言ってやって来たからだ。3人とも「9」と大きく印字したシャツを着ていた。ひところはやった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」をもじって「ジャパン・アズ・ナンバーナイン」として「9」を印字し、まわりに「憲法九条」を英語、ロシア語、アラビア語、韓国語に訳して取り巻かせるという趣向のシャツで、なかなかいかした。
彼らとしゃべっているうちに、はたと気がついた。それは、かつての「戦争を知らない子供たち」が今はそのまま「戦争を知らない大人たち」になっていることだ。自衛隊をイラクに派兵して多国籍軍の一員とし、ことあらばアメリカと組んで戦争もやる、そのために「改憲」もしようとする総理大臣も、同じ理由で「改憲」を口にして、「九条」こそ日本のガンだ。なくなれば両国は共同で戦争できるとおスミつきを米国務長官からいただいた国会対策委員長も、「改憲」にむかって派手に気勢を上げる若手代議士もテレビの論客も、いや、当の自衛隊員自身も、すべて「戦争を知らない大人たち」だ。彼らは今や日本中でバッコしている。
ところで戦争終結――日本敗戦の1945年で13歳、中学1年生、空襲で焼け野原になった大阪に住んでいた私はいやおうなしに「戦争を知った子供」だった。そして、今は「戦争を知った大人」として「戦争を知らない子供たち」転じて「戦争を知らない大人たち」のバッコのなかに生きている。私は、まず「9」のシャツを着た若者たちに言った。君たちは「戦争を知らない子供たち」だと言ってひるむことはないよ、相手も「戦争を知らない大人たち」なのだから。
私が「戦争を知った」のは、空襲と飢えを通じてだ。空襲について言えば、大阪が受けたあまたの空襲のうち、地上焼きつくしの大空襲は八回、そのうち3月13日、6月15日、敗戦前日8月14日の3回を大阪のどまんなかに住んでいた私は体験している。あれはもう戦争というものではなかった。ただの一方的な殺戮と破壊だった。そのなかで私は死にかけもしたが、とにかく生きのびた。
飢えは、人間生存のための最低限の食糧の配給切符を政府はくれはしたが、かんじんの食糧は満足にくれなかった。あと半年、戦争がつづいていれば、私は直接の餓死ではなくても栄養失調の「関連死」でまちがいなく死んでいた。これも私はとにかく生きのびた。
一方的な殺戮と破壊の体験は、戦争のむごさ、悲惨だけを私に見せたのではなかった。その背後にある国家の姿も私に剥き出しに見せた。6月15日の空襲の、地図上に見える大阪の街を黒煙が拡がり覆う空撮の写真のコピーを私は持つが、それは女性の洋服やら下着やら靴やらの広告に充満した6月17日の「ニューヨーク・タイムズ」から取ったものだ。8月14日の空襲では、空襲の直後、私は「お国の政府は降伏して戦争は終わりました」と書いたビラを拾った。B29爆撃機が1トン爆弾とともに投下したものだ。私は信じなかったが、翌日、戦争はたしかに終わった。しかし、その空襲で死んだ市民は何のために死んだのか。
低空からの焼夷弾投下による都市焼きつくし空襲を発案、一方的な殺戮と破壊を実行したのは米空軍のカーティス・ルメイ司令官だが、彼を戦後64年12月に日本政府は招き「航空自衛隊創設に功あり」として勲一等旭日大綬章を天皇自らが授けている。それから2ヶ月後「ベトナムを徹底低的に破壊して石器時代に戻してやる」と彼は公言して、ベトナム戦争で「北爆」を始めている。
戦争は終わり、アメリカは民主主義と自由を日本にもたらしたが、それは一方的な殺戮と破壊のあとのことだ。民主主義と自由はけっこうなものだが、そのままで受け取られたものではない。民主主義と自由に、私たち日本人は戦争をやめる、しない平和主義をつけ加えて車の両輪にした。この車の両輪の形成を通してアメリカが押しつけてきた民主主義と自由を日本人はわがものにした。それが「平和憲法」だ。
もうひとつアメリカが押しつけてきたものがある。こちらの方の押し付けは誰も問題にしないが、それは「日米安全保障条約」という名のアメリカ主導の軍事体制への日本の結びつきだ。この結びつきは「平和憲法」下でかたちづくられた平和体制をさまざまに崩壊させて実現、強化されて来たが、根本的には「九条」を根幹とする「平和憲法」を「改憲」しないかぎりできない。この問題に、今日本人の大半がなった「戦争を知らない大人たち」も「戦争を知らない子供たち」も年齢、世代のちがいを超えて平等に直面している。みなさんは、どうしますか――と「戦争を知った子供」転じて「戦争を知った大人」として私は今訊ねる。 |
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