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2002年2月26日号
アテナイとアメリカ合州国・その酷似
古代にあって、アテナイは強大な国だった。アテナイは民主主義発祥の地、自他ともにゆるすその本場の国だったが、圧倒的な軍事力とこれもまた強大な経済力とで古代世界を支配し、君臨した大帝国であった。元来、「民主主義」と「帝国」は両立し得ないものだ。しかし、アテナイはその力で強引に二つを結びつけ、支配、君臨をつづけた。
「デロス同盟」は、もともとはペルシアのようなギリシア人の世界の外の「敵」に対しての軍事同盟だった。「北大西洋条約機構」=「NATO」にならって「エーゲ海条約機構」と呼べば判りやすいと提言する学者もいる(私も賛成だが、「NATO」に対して、英語の「エーゲ海」の綴(つづ)り字を使って言えば、さしずめ「ATO」か)。この軍事同盟の中心にあってペルシアとたたかったのはアテナイだが、勝利のあとアテナイは中心としての位置を強化、拡大して、支配、君臨をさらに大きくたしかにした。
支配、君臨の根拠は、アテナイをその本場とする民主主義、自由だ。二つを大義名分としてふりかざして、支配、君臨に逆らう者をアテナイは叩(たた)きつぶしにかかる。民主主義、自由はともに人類普遍の「文明」の原理としてあるはずのものだ。「文明」に逆らうものは「野蛮」であり、それは力をもってしてでも排除、叩きつぶさなければならない。この論理、倫理がアテナイの古代世界支配、君臨の根拠、大義名分の基本にある。
ついでに言っておけば、英語の「野蛮人(バーバリアン)」はギリシア語の「バルバロス」から来ている。ギリシア人に判らぬことばを「バルバル」としゃべる手合いは「野蛮人」に決まっているのだ。今ふうにいえば、英語のわからぬ、アラビア語でしゃべる人間は、それこそ何をしでかすか判らない「野蛮人」だ。そうに決まっている。
こうした「野蛮人」の小国に対して、民主主義、自由をふりかざして、アテナイはあまた戦争をしている。紀元前四九七年から三三八年に至る一五〇年ほどのあいだに、アテナイはスパルタとのあいだの主要な戦争、ペロポンネソス戦争以外に小国相手にさかんに戦争をしていて、そうした戦争を四年のあいだに三年していたと主張する人もいる。ついでに言えば、アメリカ合州国も戦後百数十回にわたって海兵隊を出動させて小国相手に戦争をして来た。
アテナイの小国相手の戦争は植民地獲得、収奪のための戦争だった。二つはともにアテナイをゆたかにし、さらに支配、君臨を強化、拡大させた。そして、植民地獲得、収奪にあたってアテナイはいくらでも住民を殺し、住民の土地を奪い、空(から)になった土地にアテナイ人を入植させ、かつて朝鮮、満州に建てた神社のごとくギリシア神殿を建て、朝鮮人に強制した「皇国臣民の誓い」のごとくアテナイに対する忠誠の誓いをたてさせた。あるいは、そのほうが支配、収奪に好都合だとして反民主主義、独裁のカイライ政権までうちたて、支援した。
アテナイの支配、君臨に対して強力に逆らったのが反民主主義国のスパルタだった。中断の一時期を除いて二〇年間つづきついにアテナイの敗北に終わったペロポンネソス戦争が、必然の結果として起こった。両者のあいだのギリシア人の小国を、アテナイは力づくで自分の側につかせた。「中立」は許されなかった。今は「ミロのヴィーナス」の発見地として知られたメロス(「ミロ」は「メロス」のフランス語読み)は「中立」を求めたが、アテナイは軍事力で制圧、成年男子はすべて殺され、女子供は奴隷として売られ、空になった土地には、アテナイ人の入植者が入った。
これはおくれた「野蛮国」がやったことではない。当時もっとも「文明」が進んでいた、そのはずの民主主義、自由の守護神のアテナイがやったことだ。そのメロス侵略のアテナイ軍には、たしかソクラテスもソポクレスもいた。
私が今、今さらのようにアテナイのことを考えるのは、わが「同盟国」、そのはずのアメリカ合州国がいよいよこの古代の「民主主義帝国」に似て来ているように見えるからだ。そして、かつての「民主主義帝国」下のメロスの住民の運命のことをも考えるからだ。もちろん、アメリカ合州国がメロスの住民の運命を日本に強いようとしていると考えるのは馬鹿げている。しかし、今、アメリカ合州国がかつての「民主主義帝国」に多くの点で酷似して来ているのも事実だ。日本はまちがいなくその事実に直面している。 |
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