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2003年6月24日号
敗戦体験の意味―米国で進む歴史の「悪」の再評価
四月末から五月初めにかけて、私は久しぶりにアメリカ合州国へ出かけた。短時日のアメリカヘの旅だ。私はここでその旅での見聞に基づいて、イラク攻撃後のアメリカについて大議論をするつもりはない。旅で考えたことを少し書いておくのにとどめたい。
旅のなかでひとつ気がついたのは、今アメリカで第二次世界大戦についての本が新しくよく出ていることだ。戦争と言えばひところはベトナム戦争にかかわっての本だったが、今はまた「ベトナム戦争本」より「第二次世界大戦本」が多い感じさえする。世紀の変り目で歴史の再評価がなされて来ていると見ていいが、再評価はかつ ての「敵」側にも及んで、日本帝国陸軍の装備の詳細な研究書があったり、日本の戦闘機乗りの「エース」何人もの伝記が出ていたりする。そして、その書きぶりも日本軍兵士を「狂人」扱い、「バカ」扱いしたものではない(周知のように日本の特攻兵器は米軍によって「バカ」と呼ばれた)。ある本は書いていた。特攻隊員の「たいがいは文科系大学の出身者」で「米軍水兵が信じていたようなサキ(洒)の酔いの勢いでヤケになったおろかな狂信者ではなかった」。彼らは「愛国心、家族の名誉、天皇に対するゆるぎのない忠誠」という彼らの大義に殉じた青年だったとその本は書き、両親に対する彼らの手紙までも引用していた。こうした「彼らも人間だった。彼らの大義を信じて勇敢にたたかったのだ」という認識は、「玉砕」の日本軍兵士にもむけられている。
この歴史の再評価を私が買うのは、そこには、日本側の「悪」とともに彼らの側の「悪」をも公正に書こうとする姿勢があるからだ。今引用した特攻隊員にかかわっての記述は「第二次大戦物語」と題した現場の兵士の証言をもととした大部の本からのものだが、この本の著者ドナルド・ミラーは、両者の「悪」を並立させるかたちで遠慮なく書いていた。彼の指摘するアメリカ側の「悪」のひとつが、戦争末期、当時の世界最大、最強のB29「超空の要塞」爆撃機を中心とした日本に対する空爆攻撃だった。はじめは高度一万メートルの上空からの工業地帯に対する限定空爆だったのを、新任のルメイ司令官は、低空千五百メートルからの都市の住宅地域めがけての焼夷弾攻撃に切り替えて、45年3月の東京、名古屋、大阪、神戸の夜間空爆から始めて、日本の都市という都市を破壊、焼きつくし、住民を殺した。あれはもう戦争というものではなかった。一方的な殺戮、破壊だった。当時中学一年生の私は大阪にいて、その一方的な殺戮、破壊を受けた。
ミラーの本によれば、その一方的な殺戮、破壊を上空の米兵士は和らなかったのではなかった。上空の彼らも人間の肉体が焼かれる臭いを嗅いだ――とひとりが語った。われわれが殺しているのは老人、女性、子供であることをわれわれは知っていた――とべつのひとりが語った。彼はつづけた。「これは戦争だ。しかし、これからあと2、3年、われわれは夜中に目覚めてふるえ始めるだろう」。
ルメイ司令官自身はどう考えていたか。彼の発言もミラーの本は引用している。「戦争はすべて不道徳(インモラル)だ。道徳(モラル)を考えれば、戦争は勝てない」。あるいは、こうも言った。「戦争に敗れていれば、私は戦犯として裁かれていただろう。幸いなことに、われわれは勝つ側にいた」。
ミラーの本には書いていなかったが、その後のルメイ司令官について少し書いておこう。戦後1964年12月、彼は米空軍参謀長、空軍大将として来日、航空自衛隊育成に頁献した「功績」によって勲一等旭日大綬章を受領し、その直後、65年1月には、「ベトナムを徹底破壊して石器時代に戻してやる」との公言のもとに、当時の「北」ベトナムヘの空爆――「北爆」を始めた。
しかし、ベトナム戦争は知らず、第二次世界大戦はアメリカにとって「正義の戦争」、したがって「勝つべき戦争」だった(その題名の本も今出ている)。ミラーの戦争認識はその前提から始まり、そこに戻る。そこでの結論は――勝つためには何ごとも許される。
「悪」もまた。
ミラーは日本軍の「玉砕」に終わった文字通りの日米死闘のペリリウ島の戦闘について、そこで両者の「悪」がもっともひどいかたちで出たと書いていた。私はこの「玉砕」戦をひとつの大きな土台として小説『玉砕』(新潮社)を書いた。アッツ島から沖縄にいたる「玉砕」戦にアメリカ側から参加したドナルド・キーン氏が英訳して、この四月にアメリカで出版された。四月末、私は彼とともにニューヨ−クでの講演会で話した。話しながら、私の小説とさっきから私が述べて来たアメリカにおける歴史の再評価とはどこがどうちがうのかと私は考えていた。
ちがいはこうだ。彼らは「勝つべき戦争」に勝ち、私たちは、それが何であれ自らの大義の下、死力をつくしてたたかったが、徹底して敗れた――そこがちがっている。この徹底した敗戦体験は、戦争にかかわっての幻想を、「正義の戦争」であれ他の何んであれ、徹底して打ち砕いた。戦争はどう理由をつけようが「悪」だと、私たちはそこでみきわめをつけた。そのみきわめの上で、一切の戦争を否定する「平和主義」の道を選択した――いや、そのはずだった。「勝つべき戦争」に勝った彼らには、このみきわめはなかった。このみきわめがない彼らは、いつでも「正義の戦争」の大義の呼号の下、戦争へむかって動く。私たちはそれについて行くのか。今一度私たちの敗戦体験の意味を考えるべきときが来ている。日本人は戦争体験だけをもったのではない。敗戦体験もそれと結びついたかたちでもった。その意味は何か。 |
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