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2005年8月30日号
いったい彼らは何のために殺されたのか
戦争にはウソ、マヤカシがつきものだが、毎年八月になると私があらためてそう痛切に考えるのは、今から六十年前、一九四五年八月一四日午後、翌日正午に天皇がラジオ放送で日本の降伏、戦争の集結を告げるわずか二十時間ほどまえに私が住んでいた大阪に米軍機により大空襲があったからだ。そこには許しがたいウソ、マヤカシがつきまとっていた。
その大空襲は大阪がくり返して受けた空襲のなかでも最大級のものだった。度重なる空襲にもかかわらず奇蹟的に大半が残っていた造兵廠が目標だったので、B29「超空の要塞」爆撃機が投下したのはいつもの焼夷弾ではなく、当時最大の破壊力をもった一トン爆弾だが、その巨大爆弾は「東洋一」と呼ばれた規模の兵器工場にあまた落ちたが、周囲の住宅にも容赦なく落下した。
私の住居はそこからはかなり近い距離にあった。一発その巨大なのが近くに落下して、地上に大きな穴を掘った。落下地点がもう二百メートル動いていれば、私は今生きてこの文章を書いていない。
庭に兄が手掘りで掘った防空壕で(穴を掘ったあと街のどこかで拾ってきたトタン板で覆い、土を乗せたのがわが家の防空壕だった。日本政府は防空壕をつくれと言ったが、あとは釘一本くれなかった)ふるえながら大空襲の時間を過したあと、私は地上に落ちていた紙片を拾い上げて仰天した。そこには「お国の政府は降伏して、戦争は終わりました」と日本語で書かれていたからだ。B29爆撃機が爆弾とともに投下したビラだった。もちろん私は信じなかったが、二十時間のあと、天皇の放送はその文面が真実なのを告げていた。
いったいどうしてこうした事態が起こったのか。広島、長崎への原爆投下、ソビエトの参戦のあと、日本政府はようやく「ポツダム宣言受諾の用意あり」をスイスなどの中立国を通じてアメリカ側に通告したが、そこに「国体の維持」という条件をつけた。「国体の維持」は天皇制の維持である。さらに言えば、天皇と天皇の家族の身の安寧の保証である(天皇は近衛公とこの点についてまことにあからさまな相談をやってのけている)。しかし、アメリカはその条件の要請に一切回答しないで戦争を継続、八月一四日に至ってついに御前会議で天皇は「わが身はどうなろうと国民の苦難は見るに忍ばず」とポツダム宣言正式受諾、戦争の終結を「ご聖断」された――とはたいてい歴史書に今書かれていることだが、はたして真実はどうだったのか。
私は日本政府が「ポツダム宣言受諾の用意あり」をアメリカ側に通告したあとの八月一一日から一五日にかけての『ニューヨーク・タイムズ』をコピーして持っている。他のアメリカの新聞も大同小異だったと前置きをおいて書くことだが、八月一一日付けの『ニューヨーク・タイムズ』では、タイムズ・スクエアで勝利の喚声をあげる群衆の写真の上の一面三行の大見出しの一行目<JAPAN OFFERS TO SURRENDER>(日本は降伏を申し出る)の下二行には、同じ大きさの文字で<U.S. MAY LET EMPEROR REMAIN>(アメリカは天皇を残すだろう)。三行目は<MASTER RECONVERSION PLAN SET>(主要復興計画決定)とあるが、三行目はその計画に天皇の存在が必要だと示唆する見出しだ。
八月一二日付けの『ニューヨーク・タイムズ』のトップの三行の大見出しの一行目は<ALLIES TO LET HIROHITO REMAIN>(連合国はヒロヒト存続を決定)とあって、ここでは前日の大見出しにあった<MAY>(だろう)が落ちている。二行目、三行目は<SUBJECT TO OCCUPATION CHIEF>(占領軍司令官の意向による)、<M'ARTHUR IS SLATED FOR POST>(マッカーサーがその地位に予定されている)だ。これで天皇の身の安寧、天皇制の存続を含めて、アメリカの戦後日本の統治の政治のすべてが決まった感がある。もちろん、こうしたことはすべて中立国を通じて日本政府、そして天皇に伝えられていたはずだ。天皇は「わが身」は「どうなろう」というのではなかった。その安寧はすでに保証されていた。
しかし、日本政府はまだポツダム宣言の正式受諾、降伏をしぶっていた。ついにアメリカは強硬手段をとることを決める。八月一三日付けの『ニューヨーク・タイムズ』の三行の大見出しは<ALLIES TO LOOSE MIGHTY BLOWS ON JAPAN><IF SURRENDER IS NOT MADE BY NOON TODAY><CARRIER PLANES RENEW TOKYO ATTACKS>(連合国は日本に強力な打撃を加える)(本日正午までに降伏がなされない場合には)(艦載機が東京に対して攻撃を新しく開始)だ。たしかにアメリカ側は十一日以降、一時中断していた日本空襲を再開、大阪には艦載機は来なかったが、B29爆撃機が何百機と来て、一トン爆弾を投下し、同時に戦争終結のビラを上空から撒いた。この空襲のなかで、多くの市民が死んだ。いや、殺された。いったい、彼らは何のために殺されたのか。 |
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