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2005年5月31日号
「玉砕」が今意味すること
私の小説「玉砕」(新潮社・1998)を、イギリスの「BBC・ワールド・サービス」がラジオ・ドラマにして8月6日に放送する。ドナルド・キーン氏の英訳《The Breaking Jewel》(Columbia Univ. Press.2003 )を土台にしてのことだが、先日、どう使うかはこれから決めるらしいが、ラジオ・ドラマの主任プロデューサーが「出向」中の ニュージーランドから重い録音機を持ってひとりで日本に来て、五時間にわたって私にインタビューしていった(8月6日のグリニッジ標準時午後6時半から一時間、短波放送なので、日本でも聞ける。「八月六日」は言うまでもなく「ヒロシマの日」である)。
私の小説の主題は文字通り「玉砕」――当時の日本での呼称で言えば「大東亜戦争」の末期、1944年から45年にかけて太平洋の島々で日本守備軍が圧倒的に強大なアメリカ上陸軍に対して次々に行なって敗れた「自殺攻撃」(アメリカ軍はそう呼んだ)だが、訳者キーン氏は最初の「玉砕」戦にアメリカ軍の通訳の「言語将校」として参加したあと、さらには沖縄での「玉砕」戦にも参加の体験をもつ。その体験から彼が考えてきたことは、「日本人はなぜこんなことをするのか」だった。答えは「日本人は狂っている」しかなかったが、その彼の考え方を私の小説が変えた。私との対談での彼の発言を使って言えば、「玉砕は決して気違い沙汰ではなかったんだ」(「崇高にしておぞましき戦争」――「私の文学−・『文』の対話」(新潮社・2000・所収)。それが判って、彼は「玉砕」を英訳した。
たしかに私は自分の作品のなかで「玉砕」を狂気の産物として書かなかった。正気でまともなふつうの日本がある局面に追いつめられたときやってのける行為として書いた。その日本人は、たとえば、私だ。「玉砕」だけではない。「特攻」についても同じだ。そう考えて書いた。1945年に中学一年生だった私は、もし沖縄に生きていればもう少しで「玉砕」戦に駆り出されていた。戦争がさらに長引いて「本土決戦」になっていれば、その可能性は増す。そのとき私は狂っていなかったにちがいない。狂っていたとすれば、戦争自体が狂っていた。日本側の戦争だけが狂っていたのではない。アメリカ、連合国側の戦争も狂っていた。一方に「玉砕」があれば、他方に一方的殺戮と破壊だった都市焼きつくしの空襲、そのはての原爆投下があった。少年ながら、都市焼きつくしの空襲を三度にわたって私が生まれ育った大阪において体験した私は戦争について、その狂気の実感と確信をもつ。この実感と確信に基づいて、私は小説「玉砕」を書いた。
「BBC・ワールド・サービス」のインタビューのなかで、「『玉砕』をなぜ書いたか」を問われて、私は次のように答えた。
まず、述べたことは、「大東亜戦争」がそれに先立つただの侵略戦争だった「日中戦争」とちがってそれなりの論理と倫理――大義名分をもつ戦争だったことだ。「東洋平和」のために中国に攻め入るという「日中戦争」の理屈づけは小学生の私をさえ十分に納得させなかったが、積年の強大な力による西洋のアジアの植民地支配からの解放、独立したアジア民族の共存共栄の「大東亜共栄圏」という「大東亜戦争」の大義名分は国民学校生になった私を納得させた。もちろん、その大義名分の裏には独立アジア民族の共存共栄をうたい上げながら朝鮮、台湾などには独立を許さず、日本の植民地支配をつづけようとしたマヤカシがあったのだが、ここで子細を論じるつもりはない。要は「大東亜戦争」が少年の私が納得できる大義名分を持っていたということだ。
しかし、「大東亜戦争」はアメリカ、西洋諸国という圧倒的に強大な敵を相手とした戦争だ。戦争は長びき、日本は決定的劣勢におちいり、ついには「玉砕」「特攻」に至る。これは追い詰められた弱者のそれなりの合理的選択であって、ねっからの「気違い沙汰」ではない。しかし、この合理的選択は戦争全体の狂気のなかでそれ自体が狂気だ。
私はインタビューに来たBBCにプロデューサーにそう答え、そのなかでパレスチナにおける、イラクにおける、三年前の「9・11」以来の現代における「玉砕」「特攻」の「自爆攻撃」に言及した。それは決してただの狂気の産物ではない。またそうかたづけ去っては、問題の解決にならない。強者の力づくでの戦争の強行では問題解決にならないし、平和は来ない。平和が来たと見えても、それは変わらず戦争を内包し、「玉砕」「特攻」を必然にする。
そう述べた上で、私は日本の憲法の「前文」に言及した。それは、そこには「専制と隷従、圧迫と偏狭」に満ちた世界の現状を今世界各国はおたがいの努力によって、その努力を平和的、非暴力的、非軍事的に行うことによって変えなければならない、変えない限り世界の未来はない―と書かれているからだ。今世界が必要としていることはこの「前文」の実現だと私は述べ、この「前文」と「前文」を基本の原理とした憲法は、「戦争」「玉砕」「特攻」の狂気の長い歴史のはてに日本人がはじめてもった正気でまともな国のあり方、人間のあり方の原理だ、だからこそ憲法を変えてはならないと改憲反対の努力を私は今しているのだとことばをつづけて、インタビューをしめくくった。 |
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