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2005年9月27日号
「災害大国」としての日本、アメリカ
自然災害は事物にまつわる一切の虚飾をその巨大な力で剥ぎ落として、事物の本質、真の姿を見せる――これは、一九九五年一月「阪神・淡路大震災」を兵庫県西宮で体験した私のその体験に根ざした持論だが、今度のアメリカ合州国ニューオーリンズにおける巨大ハリケーン「カトリーナ」による洪水災害も、一切の虚飾が剥ぎ落とされて本質がむき出しにされた事例だ。
「阪神・淡路大災害」がむき出しにしたのは、死者六千人以上を出した大震災当時の無為無策に加えて、以後、被災者が何よりも必要として、そして他の「先進国」が当然のこととして支援してきた公的援助金の支給を「自助努力」をうたい上げて一切行わず(台湾もその後の地震で行った)、仮設住宅で関連死、孤独死(なかには餓死までがあった)を続出させながら、「復興」の名の下に手前勝手な都市計画の実現を強行して被災者をさらに困窮させたこの国の「人災」としか言いようのない政治――「棄民政治」の一語がもっとも適切な政治の実態だった。
巨大ハリケーン「カトリーナ」がむき出しにしたのは、まず、ハリケーンによる被害が予測されていながら連邦政府であれ州政府であれ、政治が有効な対策を何らとろうとしていなかったことだ。そして、次に明らかになったのは、洪水の呑まれて悲惨な目にあった市民の多くが、車を持たないで避難できなかった貧しい人たち、その多くが黒人であった事実だが、これはアメリカ社会における貧困と、今もってアメリカ社会に根強く残る、いや、最近また力をもり返してきたと言われる差別の問題をさらけ出したことだ。貧困と差別は強力に結びついて、今アメリカが直面する大きな問題だが、ニューオーリンズの大災害はその実態を一挙に露呈させた。公共交通機関がろくにない、車がなければ生きていけない「クルマ社会」の欠陥も、混乱のなかで中が容赦なく使われた「暴力社会」としてのアメリカ社会の実態も、大災害であからさまになった。
そして、もうひとつ重大な事態もむき出しにされた。それは、このまでアメリカが自然災害に対する対策の根幹においてきた「FEMA」(米連邦緊急事態管理局)が無力になってきている事態だ。当時のブラウン局長が被災後四日経って、すでにテレビやラジオの報道で周知の事実となっていた、ニューオーリンズの国際会議場に収容されていた二万五千人の被災者の数を把握していなかったという一事がこの無力をよく示している。
「FEMA」は自然災害の被災に迅速、適切に対応できる政府機関として国際的にも高く評価されてきた機関だが、今回の対応はなっていなかった。それは二〇〇一年の「九・一一」以来、テロ対策を中心にしてアメリカ社会の再編成をはかってきたブッシュ政権によって、それまで独立機関だった「FEMA」が、テロ対策で新設された国土安全保障省の一部局に格下げされ予算も削減されて、かつての能力を大幅に失ってきていたからだ。
つけ加えてさらに戦争がある。「九・一一」以来、アメリカは手前勝手な理屈をつけてアフガニスタン、イラクに対して戦争を行い、自然災害の被災に対して救援活動を行うはずの州兵などが人員も装備も「戦場」に送られて十分に救援できなかった。こうした事態も大災害は明瞭にした。
こうした事態の根底にあるのは、対テロ対策、戦争がらみでアメリカ社会を市民の自由と安全を犠牲にしてまで軍事中心の国家に仕立て上げようとして来た政治の強力、強引な動きだろう。まとめ上げて言って、そこで出現して来ているのは、「阪神・淡路大震災」の場合と同じく「人災」としか言いようのない事態ではないか。そして、この「人災」を出現させてきた政治は、これもまた「阪神・淡路大震災」の場合と同様、「棄民政治」としか言いようのない政治だ。その政治の姿かたちはニューオーリンズの被災の現場においてむごいまでに見えた。
私は今年一月、「震災十年」にあたって、「西雷東騒」に「『災害大国』としての日本」と題して一文を書き(二月一日掲載)、地震、台風、洪水と自然災害頻発の日本を「災害大国」としてとらえ、「軍事大国」アメリカの軍事路線にひたすら追随する国のあり方ではなく日本内外の自然災害に迅速、適切に対応できる、「人災」と「棄民政治」のない国としてのあり方をかたちづくるべきだと主張した。
今、アメリカには「カトリーナ」につづいて巨大ハリケーンが頻発すると予測されて来ている。その意味でアメリカも「災害大国」になりつつある。この「災害大国」がなすべきことは、テロを力で押さえつけて余計テロのタネをつくり、戦争をつづけ、拡大することではなくて、内外の自然災害に迅速、適切に対応できる、「人災」と「棄民政治」のない国としてのあり方をかたちづくることだ。
その上で、アメリカと日本が軍事連携を強化、拡大するのではなく、両国がともに「災害大国」として国の内外の自然災害に迅速、適切に対応できる国としての連携をつくり、強化する――これが今両国の市民からも、世界全体からも求められていることではないか。 |
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