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2004年6月22日号
「脱走兵」ジェンキンス氏が突きつける問題
私には今のアメリカ合州国のブッシュ大統領の政治とそれに追随する(としか言いようのない)日本の小泉首相の政治に我慢しかねるものが多々あるが(多くの人にとっても同じだろう)、そのひとつに曽我ひとみさんと彼女の夫のジェンキンス氏と二人の娘のこれからのことがある。日本政府は今どうやらかんじんの曽我さんの意向をそっちのけのようにして彼女たちの家族再会をインドネシアのバリ島で行わせようとしているようだが、たとえそこで再会がなされたとしても、そのあとどうするかの根本的問題は残る。
それはジェンキンス氏が米軍の「脱走兵」であるからだ。いや、アメリカ政府がいぜんとして彼をそうみなしているからである。「日米安全保障条約」の定めに従えば、日本における米軍の「脱走兵」については、アメリカ政府が要請すれば、日本政府は彼を逮捕し、身柄を駐留米軍に引き渡し、彼は「脱走兵」として軍法会議にかけられ、しかるべき刑に処せられる。曽我さんが今切望されている通り、再会後彼女の一家が来日すれば(ジェンキンス氏と娘二人にとっては「帰国」ではない。あくまで「来日」だ)、ジェンキンス氏を待ちうけているのはこの未来だ。
この問題は解決されていない。先日の「サミット」に先立つブッシュ大統領との「さしの」会談においても、もし持ち出して断られたらそれでおしまいだと小泉首相はこわくて言い出せなかったというのだから、問題はまったく未解決のままだ。バリ島での再会の可能性だけが派手に報じられてるのを見ると、これも小泉首相お得意の目くらまし、選挙目当てのパフォーマンスと見られてふしぎはない、いや、まさにそう見るべきだ。
この根本的問題未解決のままの目くらましの事態進行の中で、私が許しがたいと思うことが二つある。ひとつは、小泉首相が五月再訪朝にさいしてジェンキンス氏に会ったとき、彼が「首相の私が責任をもつ」と紙に英語で書いてジェンキンス氏の安全を保障し、来日を要請したことだ。そのときに首相に彼の安全保障について何の成算もなかったことは、先日のブッシュ大統領の「さしの」会談においても彼がこわくてこの問題を持ち出せなかった一事が明瞭に証している。彼の要請に従ってジェンキンス氏が来日していたら、いったい、小泉首相はどうしようとしていたのか。彼のひきいる日本政府はアメリカ政府の彼の逮捕要請を撥ね退け、断固アメリカ政府とたたかったのか。もっとも考えられる事態は、「公約」など実行しなくてもよろしいと公言し、実行してきた彼のことだ、ジェんキンス氏に対する誓約の紙などただの紙きれとして捨て去ることだ。それはもちろんジェキンス氏一家を捨て去ることである。
二つ目に私が許しがたいと考えるのは、小泉首相と「さしの」会談のなかでブッシュ大統領が言ったという「家族が暮らす場所が日本でなければダメなのか。愛があればどこでもいいじゃないか」うんぬんのことばだ(毎日新聞6月14日)。これほど人間を馬鹿にした発言はないだろう。人間にとって、とりわけ人一倍ケイケンなキリスト教徒だと自認するブッシュ大統領自身にとって大事なことのはずの「愛」は、これではただの政治道具だ。「朝日新聞」の記事では「愛」のくだりはなくて、「一緒に暮らせるなら、日本でなくてもいいのでは。北朝鮮ではダメなのか」とブッシュ大統領は言ったことに成っているが、これも、曽我さんを拉致した「犯人」の国に我慢して住めというのだから、ひどい発言だ。この発言に対する小泉首相の、(彼女たちは住めない)「生活水準がちがうのだから」ということばもひどい。問題は生活水準のちがいなどではではない。拉致はどこへ消え去ったのか。
私がジェンキンス氏の問題に個人的にもこだわるのは、私がかつてキモイリのひとりになってつくり出した「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の反戦運動が、ベトナム戦争に反対して脱走した米兵を国内で匿い、国外に送り出す活動を1967年から数年に渡ってしていたからだ。もちろん、日本政府は米軍の下働きよろしく彼らの逮捕に駆けずりまわったが、私たちはそれでも大半無事に匿い、送り出すことができた。ここでひとつ特に書いておきたいのは、彼ら「脱走兵」この戦争否定のすばらしい憲法を持つ国で暮らしたいと言っていたことだ。
アメリカは外国人を召集して米兵に仕立て上げる国だ。私たちは台湾人、ドイツ人、韓国人の「脱走兵」をも助けたが、69年秋には日本人の「脱走兵」までが私たちのもとにやって来た。ふつうなら匿い、国外に送り出すのだが、日本人にむかってそんなことをするのは日本人の名折れではないか。日本政府は米軍の下働き、手先よろしく彼を逮捕しにかかっていたが、愛国心に富む私たちは彼を日本にとどめ、匿さずに公然ひとりの日本人として暮らしてもらう道を選んだ。世論の支持は私たちにあった。ついにアメリカ政府は日本政府に彼の逮捕、身柄の引き渡しを求めなかった。日本政府が彼というひとりの日本人を護ったのではない。私たち日本の市民が護った。 |
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