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2003年4月2日号
まずホコをおさめよ―「される」側の人間の理性の声
「する」側から見るのと「される」側から見るのとでは、事態がまったくちがって見えることがある。戦争がそうだろう。ことに空爆となると、空爆を「する」側と「される」側とのちがいは極端――「天国」と「地獄」のちがいになる。「天国」は爆撃機で爆弾を投下「する」側、「地獄」は投下「される」側の殺戟(さつりく)と破壊の現場の都市、村落。ミサイル攻撃となると、ちがいはさらに決定的になる。発射「する」側の「天国」からは、「される」側の「地獄」は遠すぎて、何ひとつ見えない。
米英軍のイラク攻撃、バグダッド空爆にかかわって、私が今あらためてこの「する」側と「される」側の関係を考えるのは、1945年3月から8月にかけて、私自身(当時中学一年生)が大阪で徹底して「される」側に立って米軍の空爆を受けていたからだ。
一枚の写真がある。写真と言うより「ニューヨーク・タイムズ」に出ていた写真のコピーだが、黒雲=煙が地図状に地上に見える都市を覆ってひろがる――これは6月15日の空爆機数444機、投下焼夷弾3157トンの大阪空爆をB・29爆撃機の機上から撮ったものだ。その黒雲=煙のひろがりのなかに私はいた。そこはまさに「地獄」だった。
「地獄」のさまをここで描き出すつもりはない。書いておきたいのは、その写真が出ていた「ニューヨーク・タイムズ」のことだ。6月17日の日曜版で本紙58ページ、附録の日曜版誌48ページ、書評誌24ページ、総計128ページ。
このバカ厚い新聞にはもうほとんど戦争は出ていなかった。最後の段階に来ていた沖縄戦は沖縄本島南部の地図が示されて、この一角の狭いところにすでに日本軍は追い込められていると簡単な記事が出ていたが、横に大きく目立ってあったのは洋服、帽子、靴の女性の「ファッション」広告だ。そのページだけではなかった。ほとんど全ページ、紙面のほぼ八割はすべて「ファッション」広告だ。あちこち探してようやく見つけたのが「女性、老人、その他の民間人よ、沖縄の住民のごとく死闘すべし」の「民兵義勇軍」ウシジマ司令官のラジオによる訓示、いや、命令だが、その非情な命令の記事のつい横はどこかの百貨店の広告で、ワンピース、ツーピース、ビーチウェアの女性何人かが元気よくおどっている。広告だけではなかった。フロ野球をふくめてのスポーツ記事、社交欄、株式市場のニユース、求人、求職広告――すべてが「平和」を謳歌していた。
附録の書評誌にも戦争の影は薄かった。ずっと後年、アメリカのある大学の図書館で私が大阪空爆の写真を見つけ出したのは附録の日曜版誌のなかだったが、その雑誌でアイゼンハウアー将軍の伝記めいた読み物のほかに戦争にかかわってあったのは、日本空爆の途上(目標は郡山市、日付は四月一二日)搭載の黄燐爆弾の暴発を身をもって防いで勲章をもらった兵士についての記事と(その黄燐爆弾で郡山の市民がいかに犠牲者を出したかの記事はなかった)、大阪空爆の写真だけだった。写真につけられた説明には、「人口が密集した、たやすく燃え上る工業郡市のなかで最大の大阪は、ジエリー状ガソリン(ナパームム弾の原型)の完璧な空爆目標だ」とある。つまり、私はこのナパーム弾原型の「完璧な空爆目標」だったのか。
「する」側と「される」側のちがいを1945年6月17日の日曜版「ニューヨーク・タイムズ」はそれだけで明瞭に見せた。58年後のイラク攻撃、バグダッド空爆にかかわっての「ニューヨーク・タイムズ」はどうか。
「する」側から見るのと「される」側から見るのとでは、戦争の本質はどうちがって見えるか。戦争についてよくなされるのは、戦争は政治の延長線上にあるという主張だ。が、二つのあいだには大きく切れ目がある。政治は直接には人を殺さないが、戦争は殺す(政治も殺すが、それは戦争を通じてだ)。しかし、この切れ目は「する」側には見えない。ブッシュ、ラムズフェルド諸氏には見えていない。ブレア氏にも、たぶん、わが小泉純一郎氏にも見えていない。しかし、かつて「される」側の体験をたっぷりもった私には、今、現在、「される」側に立って、空爆をかつての私同様一方的に受けるバグダッド市民には明瞭に見えているにちがいない。
戦争を理性的に見よ、感情的になるな――というなじみの言説がある。しかし、殺裁と破壊の現場の「地獄」で誰が感情的にならないでいられるのか。その「地獄」の殺戟、破壊に思いをいたして、いかなる理由があろうとも戦争をやめる――それが理性的に戦争を見るということだ。
一方が正義の「戦争」を呼号し、他方が「聖戦」をおらびあげて、どちらもが「する」側に立ってたたかう。「される」側はどちらも「する」側から、破壊され殺される。まずホコをおさめよ。今からでもおそくない。小泉純一郎氏の日本政府よ、殺裁と破壊の果ての「戦後復興」をうんぬんするより、国連に今一度働きかけ、フランス、ドイツ、ロシア、中国と組んで、あるいはマレーシアなどアジアの「反戦」の国とともに停戦実現に努力せよ。これはブッシュ氏とフセイン氏がともにかつぐ神の声ではない。「される」側の人間の理性の声だ。 |
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