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2006年1月31日号
デモ行進と市民社会の成熟
私は「主権在民」の民主主義を政治の原理としてもつ市民社会の根本はデモ行進――市民のデモ行進だと考えている。デモ行進は労働組合やカゲキ学生だけがすることではない。市民がさまざまなちがいを越えて、共通の政治主張、反対、抗議の意思表示のために集まり、ともに歩く。これが市民のデモ行進であり、市民社会だ。この市民のデモ行進のワク組みには、市民が随所で開く集会も、ビラをつくって広く撒く行為ももちろん入る。こうした市民のデモ行進がいかにさかんか、さかんでないかで、市民社会の成熟の度合いが決まる。
奇矯の言を弄しているのではない。
アメリカのイラク戦争反対のデモ行進は、イギリス、ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、北欧諸国で何万人、何十万人規模で、あるいは百万人にまで達して起こった。当のアメリカでも、各都市で大規模に行われた。これは成熟した市民社会の市民の行なったことではないのか。
それにくらべると、日本でのデモ行進の規模ははるかに小さかった。私はそれでもその小規模なデモ行進を自分でも組織し、参加した市民だが、そこにやって来たヨーロッパ帰りの若者に何人も「どうして日本のデモ行進はこんなに小さいのですか」と言われた。何万人、何十万人、百万人のデモ行進を見て来た眼には、この小規模なデモ行進しか市民が形成し得ない日本の市民社会がなんとも奇態なものに見えて仕方がなかったのかも知れない。まして、ビラをつくって撒いただけで捕まり、留置場にぶち込まれ、裁判で有罪判決を受けるというような社会は恥ずかしいほど未成熟でまともではない市民社会であるにちがいない。
日本よりはるかに長い民主主義と市民社会の歴史と伝統をもつ国イギリスのロンドン市長が、イラク反戦のデモ行進にさいして、「市民よ、デモ行進に起ち上れ」という主旨の発言をしたのは有名だが(私は、日本の集会、デモ行進で発表してくれとロンドン市庁から送られて来た、「イラク戦争に強力に反対する市長」の声明を持っている)、こうしたことを述べて行くと必ず出て来るのは、市民が政治主張をしたいのなら、反対、抗議をやりたいなら選挙を通じてやれ、そのためにこそ議員がいる、政党がある、議会がある――というたぐいの反論だが、この反論が当らないのは、これまで述べて来た各国がすべてそうした政治制度を立派にもつ国であるからだ。まして、今、引き合いに出したロンドンなど、まさにそうした近代的政治制度をつくり出したイギリスの首都ではないのか。
ここで明らかになって来ているのは、「議会制(代議制)(間接)民主主義」では対し切れない事態の出現でもあれば、議会制民主主義だけが民主主義でない、市民社会が政治的よりどころとする民主主義はデモ行進のような直接民主主義をふくんでもっとふり巾の広いものとしてあるという事実だろう。
この事実は、民主主義と言えば誰もがその起源だと考える古代アテナイの直接民主主義の政治の姿かたちを引き合いに出して考えれば、いっそう明瞭になる。
古代アテナイの直接民主主義は徹底していた。まずそこでは女性は奴隷と同様「参加」を一切阻まれていたという周知の事実を述べておく必要があるが、成人男子は徹底して政治参加を行なった。また、それを求められた。その「参加」の方法は、「全員自由参加」「まわりもち」「クジ引き」、そして「選挙」だった。ここで私が今「選挙」を列挙の最後においたのは、今、民主主義と言えば誰もが「選挙」だと答えるこの政治制度が、古代アテナイの直接民主主義においてはたいして重要なものではなかったからだ(「選挙」が重要となるのは古代ローマからで、同時に民主主義の堕落衰退が始まり、帝政への道を開いた)。
成年男子市民の「参加」は徹底した、大規模なものだった。裁判では専門の判事も検事もいなかった。市民が告発し、「裁判員」となって裁いた。四、五百人の「裁判員」がいてふしぎでなかった。かの高名な「ソクラテスの裁判」では、五〇一人の市民が「裁判員」となって判決を下した。アテナイという「市民国家(ポリス)」の政策決定はパルテノンの近くのプニュクスの丘の上で開かれた「大衆集会」で行われたが、戦争をするかどうかの重大決定を下すようなときには六千人の市民が集まって来て、賛否を決めた。
現代の民主主義国家ではどうか、戦争は市民の生死が直接かかわる重大な問題だ。しかし、イラク戦争の実例が明瞭に示す通り、開戦、参戦、協力を大統領なり、首相なり、議会なりが勝手に決めて、ことは始まる。市民に残された民主主義的手段はデモ行進に出ることだけだ。
問題は戦争に限られたことではない。最近もフランスの高校生は制度の改変に怒ってデモ行進に出た。それにくらべて、「つめ込み教育」→「ゆとり教育」→「つめ込み教育」とまさに朝令暮改をやってのける政府に対して、被害者の、そのはずの日本の中学生、高校生は動かない。フランス、日本どちらが市民社会として成熟した社会か、いや、一方が市民社会であることはたしかだが、他方はどうか。 |
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