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2002年10月29日号
「国交」は「国家犯罪」の直視から
「拉致 8人死亡5人生存」と「金総書記謝罪」の大見出しを一面につけた九月一八日付の「毎日新聞」に、私の次のような談話が出ている。
「1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮との国交回復していれば、拉致はなかった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ。日本政府は拉致された人がどう死んだのか、誰を処罰したのか、北朝鮮に明らかにさせなくてはならない。この究明と(拉致被害者家族に対する)国家補償の追求が、国交正常化の第一歩だ。一方、日本は朝鮮半島を植民地化する国家犯罪を犯した。金正日(総書記)は少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も保障もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を清算せず、国交ができないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日韓両国が国家犯罪を認め合い反省することが、これからの『国交』の土台となる」。
一九六三年に私がはじめて韓国を訪れたとき(この訪韓自体については、私はすでに多く書いて来ている。ここではあらためて書かない)、すでに「国交」をめざしての交渉がオモテウラ双方で始められていた。その交渉は多くの点で「利権」がらみのもので、賛成できないと私は書いた。しかし、同時に、日韓の「国交」樹立そのものには賛成、今なすべきことだと主張した。ただ、同時に「北朝鮮」との「国交」樹立も行なえ、と提案した。それは、「日韓」だけの「国交」樹立は、「南北分断」を固定、強化し、「日朝」関係に大きなゆがみが生じると危惧したからだ。
当時は「冷戦構造」の「東西」「対決」のまっただなかの時代だ。「南北分断」もその「対決」のなかにがっちり組み込まれていた。私は「南北」朝鮮との「国交」樹立を、その「対決」を超えての「第三の立場に立って」行なえと主張し、主張をその題名をつけた一文で発表した。
しかし、事態は私の危惧通りに進んだ。六五年には、日本の国家犯罪の責任をウヤムヤにしたかたちで、あえて言えば日本の「金」めあて、「利権」がらみの、多くの韓国人が「屈辱外交」とみなした、そして、韓国を朝鮮半島全体の代表とする「日韓」国交樹立は、反対運動を戒厳令まで出して韓国政府は押さえつけて強行された。
この「国交」の強行は、「日朝」関係のみならず、「日韓」関係自体にも大きなゆがみをもたらした。ゆがみの最大のものは、韓国人の心の底に「反日」を強力に形成したことだ。「反日」は長くつづき、ようやく「日韓」関係が「正常化」され始めたのは、今年の「ワールドカップ」共同開催を通じての日韓両国の若者の画期的な交流以来のことだ―とは、多くの韓国人が、今、指摘していることだが、今になっても、日本政府は、従軍慰安婦などの「強制連行」の国家犯罪の責任を認めようとしていない。どうして認めないのか。
私が主張していることは、「北朝鮮」と日本がおたがいの国家犯罪を「相殺」することではない。日本ではわずかな数の犠牲者の拉致を騒ぎすぎる、それを言うなら膨大な数の犠牲者を出した日本の国家犯罪は何だ、もっと大所高所に立って「国交」のことを考えろ―と言っているのではない。こうした「相殺」ほど、また、大所高所論ほど、誰が言おうと、拉致の被害者にとってむごい非人間的なことはない。また、ひとりひとりの人間の生命、運命は、数の大小によって処理され得ることではない。
私が今、考え、主張していることは「北朝鮮」と日本双方が、おたがい、それぞれの責任においてそれぞれのおかした国家犯罪を徹底して糾明して犯罪の全体を明らかにし、処罰すべきものは処罰し、すでに処罰したと言うなら誰をどう処罰したかを公表し、補償することだ。その努力がなされてはじめて、こうした犯罪行為は二度と行なわない、しないといえるにちがいない。その努力がなければ、ただの口約束だ。
こうした努力を、現時点では、「北朝鮮」はまだまだ十分にしていない。日本は今その努力を「北朝鮮」に対してあらためて強力に要求すべきだが、同時に日本自体も同じ努力を過去の自らの国家犯罪について行なうべきだ。ただ拉致の工作員を目撃しただけの理由で自らも拉致された十三歳の少女の事態をとりわけ怒る人は多いが(私もそのひとりだ)、同じような事態が「強制連行」を目撃した朝鮮人の少女になかったとは言えない。従軍慰安婦の問題について一言しておけば、「民間基金」で補償を肩代わりさせることは日本が国家犯罪の責任をとったことではない。
「日朝」国交樹立にあたっても「北朝鮮」とのこれまでの「国交」交渉においても、最大の問題は、日本が常に過去の国家犯罪の責任をウヤムヤにして逃げて来たことだ。その逃げて来たことの結末が、「日韓」国交樹立にあっては、「反日」のしこりとなって韓国人の心に長く残った。いや、今もしこりは完全に清算されたとは言えない。これからの「北朝鮮」との「国交」樹立が、そのかたちで強引になされるなら、日本の国家犯罪の上に「北朝鮮」の国家犯罪がおおいかぶさった今、たとえ、「国交」が成立しても、一方に「反朝」、他方に「反日」がこれから根強く残る。どこに残るのか。もっともかんじんな日本人、朝鮮人双方の心の底に残る。これでは何んのための「国交」か。「国交」は「金」や「利権」や小泉氏、金氏、双方の外務省その他の役人の手柄のためにあるものではない。 |
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