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2006年3月28日号
(最終回)新しい時代を生きよ
二月、私は韓国ソウルに出かけた。廬武鉉(ノムヒョン)大統領が大統領選で当選した二〇〇二年以来だったから(私はこの当選について、当時の「西雷東騒」で書いている。「『市民革命』のなかの韓国」二〇〇三・一・二十八)、三年ぶりのことになる。私の「人生の同行者」(そう私は「妻」のことを呼ぶ)玄順恵(ヒョンスンヒエ)が韓国語で本を出し、その本「私の祖国は世界です」の出版社玄岩社の創立六十周年の記念集会に招かれて話すのにつきあって行った。
今年五十三歳になる玄順恵は、日本の植民地支配下の済州島から生きる道を求めて日本に来た両親のもと、彼女の本での言い方に基づいて言えば「植民地朝鮮人の後裔(こうえい)でない『開放された祖国』の娘」として神戸で生まれ、育った。それはその認識、自覚の下、民族として、また個人として自立して生きる努力をすることに他ならないが、私という日本人と結婚してともに日本で家庭をつくって暮らし、中国、ドイツ、アメリカを旅し、滞在する中でも彼女のその努力は変わらなかった。その努力の中で体験し、感じ、考えたことが「私の祖国は世界です」だが、ここでこれ以上この本の内容をあげつらうことはやめて、「まえがき」の最後の部分を少し引用しておきたい。
「私は日本で生まれ育ち、日本人と結婚し、娘を生み、人生を噛みしめるあいだにそういった努力を自分なりに少しずつではあるが実践してきたのではないかと思う。その実践の過程は読者がこの本を読み進めていくうちにおのずと明らかにされるであろう。そしてこの本の中で出会うことになる数多くのまっとうな市民たちの『喜怒哀楽』を私とともに共有できたら、この上なくうれしく思う。なぜなら、その共有こそが新しい時代精神を探しあてるカギとなってくれることを予感するからである。新しい時代を生きよ、という」
彼女の言う「まっとうな市民」は日本人や韓国人に限られることではない。世界のどの国の人間にとっても言える。その意味で「私の祖国は世界です」だ。
今回のソウル行きでよかったのは、そこでいくつも「新しい時代」を感じさせるものに行き会ったことだ。彼女の本を出したのは韓国の「岩波」を任ずる老舗の出版社だが、「私の祖国は日本です」のなかには、彼女が神戸の民族学校に通っていた小学校のころの写真がある。彼女をふくめて子供たちが歌っている横に大きく金日成の肖像写真が出ている写真だ。そうした写真がある本はかつては出されなかった本だろう。出れば、それだけで作者も編集者も牢屋行きだった。新しい時代はまちがいなく来ている。
かつてソウルではどこへ行くにも深く掘られた防空壕兼用の地下通路を通る必要があったのが、今は横断歩道で行ける。それはそれだけソウルが軍事優先の軍事都市、戦争都市から市民の生活優先の平和都市、市民都市に変わったことだ。そして、かつて高速道路建設のために暗渠にしてしまった清渓川(チョンガチョン)の清流を逆に高速道路をつぶして復活させ、遊歩道をつくって市民憩いの場にするという市民生活優先の快挙。こうしたことすべて、戦争都市から平和都市への転換は、金大中文民政権登場以来の「南北対話」に基本を定めた平和政治がやって来たことだ。新しい時代が来ている。私にその実感があった。
私があらためて考え始めたのは、日韓両国の類似だ。小部分を除いて日本は平和産業で国のゆたかさを築き上げるという世界の歴史でおそらく初めての快挙をやってのけた国だが(その経済のあり方の基本に「平和憲法」「九条」がある)、韓国も遅まきながら平和産業でゆたかさを形成して来た日本同様本質的に平和経済の国だ。政治もまた、日本が本質的に平和政治の国なら、韓国も文民改権登場以来は平和政治の国としてある。こうした「平和国家」としての両国のあり方は、軍事にあまりにも依存しすぎるアメリカを初めとする他の西洋先進国の経済大国=軍事大国の政治、経済のあり方、国のあり方と対比すれば、ちがいがきわだっている。その両国の「平和国家」としての類似を重要だと私が考えるのは、今世界には、アメリカ一辺倒の世界のあり方とはちがった新しいあり方を求めて、ラテン・アメリカ諸国がひとつの勢力をかたちづくるまでに大きく強力に動き出しているからだ。日韓両国がその動きと結びついて新しい「非同盟」の構築に努力する(それにしても、ボリビアの原住民族出身の大統領はアメリカと並ぶ軍事大国の中国へ行っても、なぜ「平和国家」日韓両国へ来なかったのか、また、日韓両国はなぜ彼を招かなかったのか)――そうした両国の努力を今、両国自体はもちろん世界が必要としているのではないか。私はそうした主張を「ハンギョレ新聞」とインターネット週刊紙「プレシアン」で述べたが、共感するところが大いにあったのか、二つともにおどろくほど大きく私の主張を取り上げていた。
「新しい時代を生きよ」という玄順恵のことばは韓国人だけにむけられたことばではない。日本人にも、世界のどこの国の人間にもむけられたことばだ。そう私も認識し、同じことばを言う。
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一九九九年七月以来、一月に一度、七年近く書いてきた「西雷東騒」は毎日新聞側の都合で今回で終わる。連載を支えてくれた毎日新聞の方々、そして、読んでくれた読者諸氏に感謝したい(二〇〇五年六月掲載分までは、私の著作「思索と発言2」――岩波書店・二〇〇五――のなかに収めている。読まれるとよい)。そして、大阪生まれ、大阪育ちの私らしく、別れのことばを大阪流にひと言――ホナ、サイナラ、お元気で。 |
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