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2005年7月26日号
「若狭のアテナイ」としての小浜
私が若狭の小浜を好み、興味を抱き、さらにその未来に希望をもつのは、人口三万人余の日本海に臨む小都市が自然の美しさと豊かさに恵まれ、歴史ある古刹をあまた持ち(その数百三十だという)、「食のまちづくり」を目指すだけあって食い物も抜群、豊富でうまい―というだけの理由ではない。小浜には敦賀を始めとして他の若狭の都市にはない「自由」があるからだ。どのような自由か――それは原発、あるいは原発関連施設を持たない自由、そこから生まれてくる自由だ。
若狭には今や「原発銀座」と呼ばれるほど原発、原発関連施設が林立する。そのなかで小浜だけが原発、原発関連施設を持たないでいる。原発は二度にわたって市民、漁業組合、現・前市長も入っての町ぐるみの反対運動で建設を阻止し、核廃棄物の中間貯蔵施設計画は昨年の市長選で反対派の前市長が推進派の市議に勝利して決着をつけた。
若狭での「原発銀座」発生の理由は、これは全国同じだが、原発、原発関連施設導入は直接間接に金が入る、雇用の形成になる、経済の活性化ができる、街がよみがえる、「シャッター街」はなくなる、導入しなければ、経済はさらに衰退、「シャッター街」はさらに増大、市の未来はない。
こうした認識、論理、倫理の蔓延バッコの下、若狭各地に原発、原発関連施設は建設され、「原発銀座」はでき上がったのだが、おかげで市民は事故の可能性、放射能の日常的汚染などの「核」の本質的危険に日夜さらされることになる。
そして、もうひとつ大事なことがある。それは市民が、原発、原発関連施設に対する批判、反対の自由を失ってしまったことだ。原発、原発関連施設に対する直接的な批判、反対の自由だけではない。その背後にある電力会社、県、国の行政に対する批判、反対の自由を、今、市民は大きく失って来ているように見える、とにかく原発、原発関連施設、その背後の電力会社、県、国に頼って生きているのだ。批判、反対は一切まかりならん――となってふしぎはない。もちろんそうあからさまに言われているのではない。しかし、それは無言の圧力となって若狭の全地域を覆う。批判、反対すると白い眼で見られる、村八分になる、取引先を失う、お客が来なくなる、店がつぶれる、クビになる、とどのつまり自由がなくなる。自由の根本は批判、反対の自由――それがなくなれば、自由はない。自由がなければ、民主主義の政治はない。
この若狭で、ただひとつ、原発、原発関連施設を入れてこなかった都市が小浜だ。小浜は経済の活性化を必要としない都市ではない。しかし、その活性化も、市の未来も、そこに住む市民の未来も、原発、原発関連施設の導入によってつくりだそうとしないで、自然の美しさと豊かさに基づいた「食のまちづくり」でやってのけようとしている。
そのあり方を、市民が今多く支持しているとみてよいのは、昨年の市長選で、中間貯蔵施設導入による経済の活性化を主張した市議を斥けて、「食のまちづくり」を主張した反対派の前市長を再選で市長に選びとったからだ。
この「食のまちづくり」による小浜の未来がどうなるかは未知数だ。しかし、今、小浜には若狭の他の都市にない自由が感じとられるのはたしかな事実として言えることだ。小浜で、原発反対運動の中心人物として活動しているのは、世に知れた古刹・明通寺の住職、中嶌哲演氏だが、過日、私が関西の市民何人かとともに小浜を訪れたとき、彼がキモイリとなって小さな市民集会を開いてくれた。そのとき私を感服させたのは、そこには彼のような原発反対派とともに、反・反対派の人も来ていて、おたがいが自由に発言していたことだ。これは民主主義社会として当然のことだが、その当然のことが他の若狭の「原発銀座」の諸都市にはないと、これは出席者のひとりが言った。
私はそこで「若狭のアテナイ」かも知れないと思った。古代アテナイの民主主義を支えたのは、自然の恵みを基本につくり出された社会全体の、またそこで生きる市民の豊かさと、そこにあった自由だった。当時、アテナイの周辺にあった国家群はスパルタがその代表だが、アテナイほど自由な国ではなかった。言論の自由、商業の自由を求めて人びとはアテナイにやって来て、アテナイ人とともにアテナイの文化の隆盛と経済の繁栄を築き上げた。私は中嶌氏に小浜の「核のない(ニュクレア・フリー)自由」を大事にして欲しいと言った。その自由と「食のまちづくり」計画が結びつくとき、市の未来はすばらしいものになる、「食と生と平和の祭典」を市民は市とともにやってみないか、それは日本のあるべき「核のない自由」の未来を明示する企てになる――と私はつづけて言った。 |
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