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2005年10月25日号
ラジオ・ドラマ「GYOKUSAI」の「メッセージ」
今年五月の「西雷東騒」で、私は私の小説「玉砕」(新潮社・一九九八)を原作として、直接的にはそのドナルド・キーン氏の英訳(Donald Keene "The Breaking Jewel" Columbia Univ. Press.2003)を土台に使ってのラジオ・ドラマをイギリスのBBC・ワールド・サービスが八月六日の「ヒロシマの日」(とBBCはその日のことを名づけている)に全世界むけに放送すると書いた。実際、ドラマは「GYOKUSAI」と題してその日に放送された。「ワールド・サービス」は短波放送なので、「全世界むけ」というのは誇張ではない。全世界で聞いているのは千四百万人いるという。
自分の原作をあげつらうつもりはない。もらったCDでドラマを聞いてみたら、原作から独立した作品として聞けた。またそう聞いた場合、原作以上に普遍的に問題を強く押し出しているように感じ取られた。それで今回はこのイギリス版「GYOKUSAI」のことを書いてみたい。
ドラマの作者ティナ・ペプラーは十年前、同じ「ヒロシマの日」に私のべつの小説「HIROSHIMA」(講談社・一九八二。今は講談社文芸文庫)を、やはり、英訳を直接の土台としてラジオ・ドラマにして、同じBBCから放送している(ただし、国内向け)。十年ぶりにロンドンで会ったら、彼女はラジオ・ドラマ、テレビ、映画の台本で活躍する「はやり」の作家となっていた。しかし、変わらず重い政治的、社会的主題を追求している。「GYOKUSAI」もそのひとつだろう。
ドラマの製作自体についても少し書いておこう。製作のもとじめとなったのは、BBCのベテラン・プロデュ−サーらしいが、声優は登場して来る日本兵士の英語に特異性をもたせるためか、多くが中国系の声優だった。製作に立ち会ったペプラーの話では、彼らの「声」による演技は「GYOKUSAI」日本兵になりきった迫真のものであったらしい。CDを聞いていても、たしかにそう感じ取られた。
そして、全体として「GYOKUSAI」がよかったのは、これは「西洋」でつくられる戦争ドラマのたぐいではまったくまれなことだと私が考えるのは、このラジオ・ドラマには、日本兵士が大部分の登場人物なので当然と言えば当然のことだが、戦闘場面にしろ戦争全体にかかわっても、当時の日本兵士、日本人が彼らが感じ、考えたことをふくめてそのままの姿かたち、いわば生で出てくることだ。息子のためにつくった「千人針」を息子が出征していなくなったので、満州からはるばる太平洋の玉砕の島まで移動のさなかの息子と同年齢の日本兵士に手渡す日本人女性も登場して来る。
だいたいがどこの国の戦争ドラマにあっても、「敵」の存在はないものだ。あるいは、問題にされない。それゆえにこそ平気で「敵」にむかって大砲を射ち、ミサイルを飛ばし、原爆を投下する。
「敵」がいたとしても、「敵」は人間ではない。凶人かバカか(アメリカ兵士は日本の特攻兵器にたいてい「バカ」という呼称をつけた)、悪鬼だ。ことに「敵」が自分より劣る人間としてある、そう考えられる相手としてある時は、事態はそうなる。これは日本人を「敵」とする場合だけではなかったにちがいない。ベトナム戦争ものの戦争ドラマはアメリカであまたつくられて来ているが、そのなかでベトナム人がまともに存在しているのがどれだけあるか。第二次大戦にかかわっても、ドイツ人はまだ「敵」として存在したかもしれないが、日本人の場合はどうか。これも、むごい戦争の現実のひとつだ。
BBCのラジオ・ドラマ「GYOKUSAI」が特異なのは、「敵」の日本兵士、そして、日本人が存在するどころか、自分たちイギリス人と同じように心とアタマをもった、つまり、感じ、考えることができる狂人ならぬまともな人間として出て来ていることだ。べつにその日本兵士、日本人を「武士道」にひっかけて称賛しているのではない。無益に戦い、殺し合い、死ぬ、いや、殺される人間として、彼らは出て来る。そこにおいても、この「敵」たちは自分たちと同じように人間だ。
戦争はまともな人間どうしが、それぞれに正義やら国益やら愛国心やらの大義名分を背負って殺し合いをする行為だ。その行為をおたがいがすることで、戦争という巨大な狂気をつくり上げ、その狂気にさらに大きく人びとは、巻き込まれる。ラジオ・ドラマ「GYOKUSAI」は、その戦争全体の姿かたち、そして本質を強力な「メッセージ」として聞く人間に伝えてくれる。聞いているとそう感じ取られて来る。
この「メッセージ」の意味は何か。戦争に反対するのは、正義やら国益やら愛国心やら、あるいは「敵」が誰かやらにかかわっている限り、できない。それは戦争のその本質を見さだめて戦争全体を否定することによってのみできる。「メッセージ」は強力にそう告げる。その意味で、このイギリスのBBCがつくった「GYOKUSAI」はきわめて本格的、本質的な「反戦ドラマ」だと言えた。 |
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